ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

教師の影が見えない演奏 

 

アレクセイ・スルタノフが亡くなって、どれくらいの歳月が流れたのだろう?もしかしたらスルタノフというピアニストの名前は忘れ去られてしまったのだろうか?

演奏について語るというのは難しいものだと思うが、スルタノフの演奏について語るのは最も難しいように僕には感じる。「なんだか分からないけれど、もう一度聴きたいと思う演奏」「他の曲も聴いてみたいと思わせるピアニスト」こんな感じだろうか?

その場の「気」のようなものを、すべて吸収してしまうような、説明できないような、ある種の魅力、スター性のようなものを持っていたと思う。僕なりにスルタノフというピアニストを言語化してみると「彼の後に演奏する人は非常に気の毒・・・」そう思わせるピアニスト。

楽曲を研究し、練習し、研鑽を重ね、経験も重ねていく。これだけでは、どうしても得ることのできないような、ある種のものを持っていた。多くのピアニスト、具体的に言うと、コンクールのコンテスタントたちは「ずるい・・・」と感じた人もいたのではないだろうか?研究の成果のような、立派・・・という演奏ではないのかもしれないし、伝統に沿ったという演奏でもないのかもしれない。だからこそ惹かれてしまう・・・みたいな?

ホロヴィッツの影を感じる。スルタノフはホロヴィッツを崇拝していたのだろう。ホロヴィッツ、その魅力に魅せられたピアニストは、ホロヴィッツの魔力の餌食になり自滅していく・・・

スルタノフだったら、その魔力を味方にできたかもしれなかった・・・

今は小学生でも達者な子どもは難曲をスラスラと弾くらしい。もしかしたら、11歳でなんでも弾けてしまう子どもだっているのかもしれない。でも、この11歳の時のスルタノフの演奏を聴くと、「ああ、教師の影を感じない」と思うのだ。達者な子ども(子どな?)の演奏って、上手くても教師の影が見える。「本当に、あなたがそのように感じたの?」と思ってしまうのだ。でもスルタノフの演奏には、そのようなところがない。「これが僕なんだ・・・」という強い何かを感じる。

スルタノフというピアニストを追ってみたくなった。

kaz




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コメント

 

素晴らしく良いレッスンを受けた演奏です

kazさんがそう思われるのは、日本にいたら当然なのだと思います。
「先生に教わったら、四角四面のつまらない演奏になる」というのが日本の常識になっても仕方がないと思います。

弾き方では、楽そうな演奏をしたヨーロッパの巨匠の演奏を、当時の日本のエライ先生の頂点に君臨したような先生が「悪魔に魂を売った」と批判したそうで、手を傷める弾き方がガラパゴスのように日本の弾き方として浸透し続け、音楽表現はさらに、「分からなかったら怒鳴っておけ」という教え方の格言があったそうで、どう教えていいか分からないエライ先生達が、怒鳴ったり、叩いたり、言葉の暴力で傷めつけて、遮二無二練習させた伝統があります。そういうふうにして、「分からない先生」を量産し続け「レッスン」というものへの悪印象が定着しました。

Kazさんの心を深く傷つけ、「先生に習うというのは、自分を押さえつけて、自分を出せなくなることだ」というイメージを作った少年時代の先生は、決して珍しくはなく、日本中のどこにでもいるのです。今もいて、恐ろしい話を度々聴きます。(少子化の今は優しい先生が増えたようですが。)でも、勉強するって、叱りつけるか、優しく励ますか、とか、そういうことではないのです。

スルタノフのノクターン、素晴らしいですね。本当に素晴らしい。これこそ、「楽譜通り」なんです。そして、テンポ感もとても正確です。「こんなに揺れているのに?」と思われるかもしれません。1小節単位で、体を揺らしながら、呼吸しながら、聴いてみてください。素晴らしいテンポ感です。そして、見事に適切な山の部分でそれぞれの山の高さが違う適切な表現ができています。よほど良い先生に習ったのだろうと思う演奏です。

彼の両親は音楽家でした。物心つく前から、毎日、プロの音楽家の良い練習を聴いて育ちました。それは素晴らしいレッスンだったことでしょう。そして、ピアノを弾けるようになったら、毎日のように実際のレッスン(アドヴァイス)もあったことでしょう。(ヨーロッパでは、住み込みで毎日レッスンを受ける師弟関係の伝統があるくらいなので。)
さらに地元で他の先生にも学び、その後、さらにモスクワ音楽院でも学びましたが、この年齢ですと、プロの音楽家であったご両親の良い影響という気がします。

長くなって恐縮です。この記事を批判したいわけでは絶対にないので、どうか、誤解なさらないでくださいね。日本でピアノのレッスンというと、押さえつけられ、自分を出せないイメージになるのが当然だと思います。
でも、本当に良いレッスンは、しっかり深く学べば学ぶほど、楽譜にどうやって「乗って」、自分の感情を動かし、溢れさせるかが分かるようになっていくレッスンなのです。

kazさんにリサイタルを勧めた方は、この2年間で、自分を出せない窮屈な演奏をされるようになったでしょうか?それどころか、素晴らしくご本人の可能性を発揮されていると感じませんか?

長すぎてご迷惑でしたら、あるいは、お気に障りましたら、公開せず削除なさってくださいね。リサイタル、心から応援し、ご成功をお祈りしています。

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2017/10/06 14:51 | edit

Megumiさま

「先生の影」この印象は、僕自身が子どもの頃に習った先生からというよりは、大人になってから、さらにはピアノを再開してから感じた日本ピアノの特殊性のようなものからきているのだと思います。

ピアノを再開する前から、どうも日本の優秀な、コンクールで賞を取るような人の演奏の多くに魅力を感じていませんでした。もっと様々なレベル、例えば平均的な(?9音大生の演奏などを聴いても、やはり魅力を感じたことはありませんでした。

ピアノを再開するために先生を探す時、まずは日本の音大を卒業していない先生を探しました。ちなみに僕の先生は日本の大学の哲学科卒業後、ハンガリーの音楽院で勉強された方です。さらに、生徒に日本の、例えばピティナのようなコンペティションにどんどん参加させているような、そのような先生も敬遠したかった。

おそらく、アメリカ滞在中に、数多くの公開レッスンを聴いたことが関係していると思います。帰国後は、日本の高名な先生(ピアニスト含む)の公開レッスンも聴きました。自分自身も外国まででかけ、ピアニストのレッスンを受けたこともあります。その比較対象・・・そこから日本のピアノ教育を受けた人の多くの演奏から「先生の影」を感じるようになったのだと思います。

個人的な印象ですが、日本の先生は生徒のフレーズというか、音楽のシェイプまで指示、動かしてしまう傾向が多いように思いました。「そこはこのように弾いて」とか「このように表現して」のような・・・

超優秀な生徒(音大生)の演奏を聴くと「本当にあなたはそのように弾きたいと思ったの?」と感じます。どうも「自発的」というか「真から自分の内側から」という要素が希薄で、そのような演奏は、表現に、ある一定のパターンがあり、聴いていて「次はこう弾くだろう」と予想できてしまうようなところがあります。達者に弾いているだけに残念というか、不気味というか?

スルタノフのノクターンにはそのようなものが皆無と感じます。日本にも表面上は11歳のスルタノフよりも達者な子どもはいるのだと思いますが、残念ながら、彼らの演奏には「先生の影」をどうしても感じてしまう。「先生にそう弾きなさいと言われたのね?」という演奏・・・

日本人の先生の公開レッスン、複数聴きましたが(沢山聴いたというか?)、印象としては、先生が生徒の音楽を動かしてしまう。注意というか、生徒への指摘が非常に抽象的と感じます。「そこは夕焼けが消えていく感じで」「もうちょっと哲学的な音で」等々・・・

レッスンで何をするか・・・レッスンとは・・・

おそらくそこなのでしょう。

kaz #- | URL | 2017/10/06 22:10 | edit

フレーズを動かします。但し、理由というか意味も話します

長コメ公開してくださってありがとうございます。

勉強の過程で、必要であれば、フレーズ、音楽のシェイプも指示します。
そうやって勉強が始まりますが、良い先生の場合は、「なるほど!」と思わせる意味や理由が説明されるか、手短にでも「楽譜がこうなっているから」的なことを言ってもらえる場合が多いので、それは「表現のテクニック」として応用できる「知識」となります。

そういう応用できる「知識」が増えると、知らない曲や、見たことも聞いたこともない曲でも、どうすれば素敵に聴こえるようになるかが分かるようになっていきますし、聴いたこともない曲を生徒が持ってきても、教えられるようになります。それこそ、「学んだ方が、自分で考えられるようになる」と私が書いていることです。

でも、そういう細かい、あるいは具体的な説明がないと、何だかワケも分からずに無理やり先生の好みに合わせさせられているような、釈然としない気持ちが残って当然と思います。

ましてや、「そこは夕焼けが消えていく感じで」とか、「もうちょっと哲学的な音で」では、何をどうやったらいいのか分かりませんよね。そういう時は「夕焼けが消えていく感じを具体的に弾いてみせてください」とか、「哲学的な音を聴かせてください」、と言いたいですね。

音楽は言語と考えると分かり易いです。ハンガリー人の恩師のおひとりは、お別れの時「音楽という言語で大切なことを語りなさい」という感動的なメッセージをサインに添えてくださいました。

外国人が日本語を話すと考えた場合、「自分で考えた表現」といっても、もし、「ワタ*シハピ*アノガス*キーデーースーーー」といった感じに、区切り方や勝手なリタルダンドなどしていたら、伝わりませんよね。

そういう演奏とか、、「ワ*タ*シ*ハ*ピ*ア*ノ*ガ*ス*キ*デ*ス」という感じに、ただただ、音符を正確に並べるだけだったら、発音やイントネーションの指導も込みで、「わたしは、ピアノが好きです。」と、日本語らしく聴こえるように、フレージングを直すと思いませんか?

ドイツの音大の学長先生が、公開レッスンで、大きなひとまとまりのフレーズを具体的に細かく指示された後、次のフレーズについては、「そこは普通に弾いていいよ、、上りはクレッシェンド、下りはディミヌエンドで」と、仰った時、「普通に弾きなさい」と言われたら、9割の日本人は、間違いなく音符を並べるだけの演奏をするだろうな・・と、「常識」の違いにめまいがしました。

私が人生かけて、命かけて(食費削ったのでホントに命かけました)学び、考え続けて、分かったことを伝えて、1mmでも、世の中を良くしたかったけれど、道が遠すぎて疲れたので休憩中です。。(^_^;)

kazさんのように多くの巨匠の演奏を通して、耳から、膨大なルールやコツを感じ取り学びとれる人は稀だと思いますよ。

Megumi #3/2tU3w2 | URL | 2017/10/07 00:00 | edit

Megumiさま

大昔ですが、室井摩耶子という人の本を読みました。日本の芸大でも教えていた彼女が初めてドイツで気づかされたこと、それが「音楽語」のようなもので、音や休符の高低、長さの違い、つまり楽譜から、ある法則を読み取り、それを実際にピアノに託す、その必要性を説いていました。同じ音符が連続している場合、例えばショパンの雨だれのような場合、それはエネルギーの持続を意識しなければならない、ただソの♯を打つのね・・・ではなく。

その後、中村紘子の書籍を読みました。そこには著者の奏法のやり直しのことが書かれていて、平坦な日本人の演奏の理由は、基本的な奏法からきているのではないかと。

楽譜に忠実、音楽語に目を開けば、「こう弾いて」「そこはこうでしょ」と楽譜が語っているのかもしれません。表現も作曲者は盛り込んでいる・・・

それを具体的に楽器で具現化するには、具体的な弾き方がいる、「なんとなく」とかではなく。まず準備が必要で、移動とタッチが同時ではガサツな音しか出ない。鍵盤に先に移動しておいて、そこで奏者の感じ取った、読み取った「音楽語」を肉体的な動きとマッチさせる・・・のような?

望みは、ただ一つ。自分で感じた「演奏美」に近づきたい、それだけ。そこに「やり方があるのだ。一緒に探していきましょう。方法を知れば、あなたもできるようになる」このような先生、具体的に導いていけるピアノの先生が少しでも増えて欲しいを願います。

「才能なんかないし・・・」こう思い込んでいる人は多いと思います。

kaz #- | URL | 2017/10/07 08:15 | edit

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