ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

餓死牢 

 

Hはポーランド人。Hの父親はアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で生き残った人。どんな場所だったのか、どのような日々だったのか、息子のHには絶対に話さなかったそうだ。

Hはアウシュヴィッツという言葉を使わなかった。ドイツ語だからだろう。この場所に、なんらかの辛い思いのあるポーランド人は多いのだろう。そのような人たちは、アウシュヴィッツというドイツ名ではなく、オシフィエンチムの収容所と表現する。ビルケナウはアウシュヴィッツに隣接する街(村?)だが、ここに第二収容所が建設された。なのでアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所と呼ばれるのだ。ビルケナウもドイツ語による表記だから、ポーランド人はブジェジンカ収容所と呼ぶらしい。

囚人番号16670・・・それがコルベ神父の番号だった。名前ではなく番号で扱われる。

収容所では点呼の際、欠けている番号が発見された場合、誰かが脱走したとされ、アトランダムに餓死牢行きの囚人を選び出すシステムがあった。脱走防止ということですね。

次々と番号が読み上げられる。一人の囚人が泣きながら訴えた。「私には妻も子どももいます。餓死牢だけは、それだけは許してください」「ユダヤの豚が何を言う?」

「その人には家族がいます。私はカトリック司祭です。配偶者も子どももおりません。私をその人の身代わりにしてください」

コルベ神父を含む9名の囚人が餓死牢送りとなった。現在でも、この餓死牢は見学することができる。いわゆる立ち牢で、横たわるスペースもない。ここに餓死するまで閉じ込められるのだ。

普通は、あまりの苦しみに阿鼻叫喚・・・となるらしい。でもコルベ神父の餓死牢では祈りが捧げられ、光に満ちていたそうだ。2週間後、コルベ神父を含む数名が生きていた。死ぬための薬剤が注射され、コルベ神父は亡くなっていった。亡くなる時のコルベ神父は、温和で平和な表情をしていたそうだ。

動画の2:26秒あたり、一瞬だが、3本のロウソクの場所が映し出される。ここがコルベ神父の亡くなった餓死牢。この動画は見るのに勇気が必要かもしれない。

kaz




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