ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ギターの詩人 

 

南米の国、パラグアイについてどれだけ知っているだろう?パラグアイとウルグアイとの違いもよく分っていなかったりする。首都はアスンシオンと知っても、「ああそうなんだ」と思うだけで、パリやニューヨークのように風景が浮かぶわけでもない。

そのパラグアイにギターの詩人がいた。幼少の頃よりギターを弾いた。すべてギターのための作品、約300曲を残した。でもこれは自己申告。楽譜を人に渡してしまったりして、正確な数は分かっていない。出版されず手稿のままの楽譜がほとんどだったらしい。作曲そのものは、ほぼ独学だったようだ。

アグスティン・バリオス・・・

31歳の時、パラグアイからブラジルに渡り、そこで15年間過ごしている。その後は、南米各国を演奏し、中米エルサルバドルで亡くなっている。

「僕は中世の吟遊詩人の兄弟だ。栄光と絶望の中でロマンティックな熱情に苦しんだ吟遊詩人の兄弟なのだ」 アグスティン・バリオス

自分の作品を、まとめて出版することのなかった無欲なバリオスだが、演奏は録音に残した。また各地を演奏して回った。経済的には苦しい生活だったようだ。友人たちから経済的な援助もあったらしい。

彼の演奏、そしてギター曲は人々の心に残った。でも楽譜そのものが流通しておらず、やがて忘れられていく運命にあった。そのことを惜しんだ人たちがいる。パラグアイのシーラ・ゴドイ、ペルーのヘスース・ベニーテス、アメリカのリチャード・ストーヴァーらの研究家たちにより、バリオスの作品がまとまった曲集という形で出版されるようになった。バリオスの死後、20年ほど経ってからのことだ。

1976年、イギリスのギタリスト、ジョン・ウィリアムスがバリオス作品によるレコードを発売した。この時からバリオス作品が世に知られていくようになった。

キューバの作曲家、ギタリスト、レオ・ブローウェルはバリオスについてこう語っている。「バリオスは、ヨーロッパではずっと前に消滅した繊細でロマンティックな音楽を書いた」

バリオスの紹介者的役割をしたジョン・ウィリアムスはこのように語っている。

「ラテン・アメリカは長い間文化的にヨーロッパに服従する姿勢をとってきた。何世紀も続いた植民地化の結果だが、その影響はヨーロッパの側にもラテン・アメリカの文化、特にその大衆文化を見下す態度となって現れていた。生前のバリオスはラテン・アメリカにおいては上のような事情から過小評価され、ラテン・アメリカ以外では実質的に無名の存在だった。やがて西欧中心主義の偏狭さが取り沙汰されるようになり、ラテン・アメリカ固有の文化にも目が向けられるようになった。そうした大きな動きにバリオスも音楽を通じてギタリストたち、そして音楽を愛する世界中のすべての人々の心を動かすことによって参加しているのである」

アグスティン・バリオス(1885~1944) 享年59。彼はパラグアイ先住民、グアラニー族の血を引き継いでいることを誇りにしていたとされている。

この映像は、1970年代後半、ジョン・ウィリアムスがバリオス作品を紹介し始めた頃のものと思われる。

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