ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

愛国者として、ピアニストとして・・・ 

 

中村紘子著の「ピアニストという蛮族がいる」(文藝春秋)に、鍵盤のパトリオットと題して、パデレフスキに関して、まるまる一章が割かれている。現在、パデレフスキはどのような位置づけにいるのだろうと、ふと思った。まずはピアノ弾きだとショパン全集、つまりパデレフスキ版で有名なのではないだろうか?そのパデレフスキ版も「今はエキエル版よね?」みたいに、やや冷たい視線が注がれたりしているのかもしれない。作曲者としては、もうひたすら「メヌエット」だけが有名で、それもピアノ中級者(?)が時折ピアノ発表会で演奏することはあっても、プロのピアニストがリサイタルでパデレフスキの曲を演奏することなど、まずない・・・

ちょっともったいないというか、おかしいのでは・・・という気持ちが、今回のピアチェーレの演奏会でパデレフスキ作品を演奏してみようと決心した理由だ。

ピアニストとしてのパデレフスキ、これは昔から、つまりSP盤、蓄音機の時代から日本でも有名だったと思う。たしかにロマンティックな演奏というか、黄金時代の演奏という気がする。でも大衆のパデレフスキに対しての人気は、他のピアニストを圧倒しているところがある。当時、アメリカは亡命音楽家たちのメッカ(?)で、巨匠たちの演奏が溢れていたところがあるが、なぜパデレフスキの人気が他を圧していたのだろう?この部分は演奏を聴いても釈然としないものが残っていた。「たしかに素晴らしい。でも他にも素晴らしいピアニストはいる。なぜパデレフスキだけが異常な人気ぶりだったのだろう?」と。

前出の本から部分引用してみると、「彼の生活ぶりは王侯貴族にも似ていた。カリフォルニアに牧場を所有し、パリとロンドンに家を持ち、ジュネーブ湖畔に城館を構えた。自家用の鉄道車輌に乗り、練習用の二台のピアノ、秘書、執事、医師、専用マッサージ師、シェフ、調律師、そして家族、召使いたちを引き連れての大名行列は、それ自体がまた人気の的となった」こうもある。「どこでも聴衆は、その大部分が女性であった。彼女たちはパデレフスキがステージに登場すると一種の集団ヒステリーを起こし、ステージめがけて殺到して我先によじ登ろうとした」

現代のロック歌手以上の盛り上がりではないか?「彼の燃えるような金髪の巻き毛は、光が当たると彼のロマンティックな顔を後光のように包んだ」ともある。すべてがレベル違い、けた違いの人気ぶりではないか?

ロマンティックな顔立ちかどうかは、主観的なものも含まれるので、この動画で判断するしかないが、たしかにイケメンではあったのかもしれない。でも異常なまでの人気は、彼がポーランド人であった、つまり征服される側の国の人間であったということも関係しているのではないか?人気原因はともかく、少なくともピアニストとしてのパデレフスキに、ある種の気概、「二ェ・ダムチェ!」なるものが植え付けられていたのではないかと・・・

パデレフスキ、3歳の時。父親がある蜂起に参加したとして逮捕された。150人ほどの騎兵、ロシアの官憲が父親の有罪立証にやっきとなった。家中のものがひっくり返された。3歳のパデレフスキは、幼いながらも異様な事態に、父親に大事が起こったのだと感じた。泣きながらロシア兵にたずねた。「お父さんをどうするの?なぜ連れていってしまうの?すぐに帰してくれるの?」

ロシア兵は答える代わりに、3歳のパデレフスキをムチで叩いたのだそうだ。3歳の子どもの肌はムチで裂け、血で溢れた・・・

この時の屈辱感が、後の「二ェ・ダムチェ」そしてポーランド人、被征服民族としての誇りを植え付けたのではないか?

1939年、ナチス・ドイツはポーランドに突入、わずか一か月後にワルシャワ陥落・・・当時79歳だったパデレフスキの胸中はいかなるものであったか。1941年、6月、ニューヨークで肺炎のために死去する。「餓えているポーランド人民のための救済コンサート」を行っており、その無理がたたったともされている。時の大統領でパデレフスキの親友でもあったフランクリン・ルーズベルトの命令によって、500名の米軍士官と音楽隊がパデレフスキの遺体に付き添って五番街を行進したという。「ポーランドが自由の国になるまでは帰国せず」というパデレフスキの遺言に従い、遺体はワシントンのアーリントン墓地に埋葬された。米国最高の礼をもってとり行われたという。19発の礼砲と共にポーランドの元首相、ピアニスト、パデレフスキは異国の地に永眠することとなった。

ソビエト崩壊、ベルリンの壁崩壊、東欧は民主化の道を突き進んだ。ポーランドも例外ではなかった。1992年、ポーランドのレフ・ワレサ大統領と米国のジョージ・ブッシュ大統領列席のもと、パデレフスキの遺灰はアーリントン墓地からワルシャワの聖ヨハネ聖堂の地下霊廟に移された。

ポーランドは自由の国になった・・・

幾百年待ち望んだのだろう、幾多の人が待ち望んだのだろう・・・ポーランドは歴史のある若い国でもある。

kaz




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