ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

二ェ・ダムチェ! 

 

約2か月後、ピアチェーレの演奏会があります。11月18日、場所は例年と同じ、雑司ヶ谷音楽堂。無料の演奏会だけれど、整理券が必要となります。申し込みは来月の1日から、ピアチェーレのホームページのメールフォームから申し込んで頂きたいです。ピアチェーレからメールでPDFとして整理券が返信されるので、プリントアウトして当日持参して頂く形となります。直接僕に連絡頂いても大丈夫です。その場合は受付に整理券を用意しておきますので、当日お名前を仰って頂くようになります。こちらは現在、随時受付中です。

僕の演奏曲はショパン中心。

パデレフスキのメロディー、ノクターン、ショパンのバラード第1番、アンダンテ・スピアナート付きのポロネーズ。ショパンというよりは、僕の中でのテーマは「ポーランド」という感じだろうか?

ポーランド、一度だけ旅行したことがある。「予想よりも近代的な国だな」というのが正直な感想だった。僕の中では、ポーランドという国は、大国に翻弄され続けた悲劇の国というイメージがあった。1980年、当時社会主義国だったポーランドの港町、グダニスクからある運動が起こった。ソ連の圧力に労働者レベルで対抗するソルダルノシチ、いわゆる「連帯」という運動だ。若かった僕は日本で、ワレサ議長とか戒厳令とか、ドキドキしながらテレビで見守っていたものだ。そして世の中の不合理というものを感じていた。

その後、アメリカに留学した時、ある一人のポーランド人と知り合った。ルームメイトだったHという人物は、このブログでも度々登場しているように思う。どこか仙人のような人だったように思う。祖国に愛着を感じ、同時に絶望していたところがあったように思う。「あの国では人間として生きることができない」・・・そう言っていた。

「二ェ・ダムチェ」・・・Hがよく言っていた言葉だ。日本語だと「決して克服するものか」という意味だろうか?Hとの関わり、侵略の歴史でもあったポーランドの歴史、そのようなものから、あるイメージがポーランドという国に対して僕の中で形作られていたのだと思う。なので、暢気にポーランド餃子などを食しながら、「ポーランドって意外と発展しているのねぇ・・・」などと僕は感じたのだろうと思う。

ショパンの曲って、どこか「お素敵」な感じがする。パリに住み、半分はフランス人の血が流れていた。でも半分はポーランドの血が流れていた。この部分が生涯、マズルカやポロネーズを書かせたのかもしれない。ショパンが生まれたのは1810年。実はこの時期、ポーランドという国は消滅していた。世界地図にはポーランドという国は存在していなかった。「この領土は我々が・・・」「ではポーランドのあそこは我々が貰って・・・」大国にいいようにされていた期間が123年間も続いた。1795年から1918年の123年。

100年以上もの支配後、1919年、ポーランドは独立し、あるピアニストがポーランドの首相になった。また外務大臣も兼任した。パデレフスキ。いまだかつてピアニストから政治家、それも一国の首相にまでなった人物などいただろうか?

パデレフスキとショパン、おそらく「二ェ・ダムチェ」という精神を持ち続けた人たちであったのだろう。また、後世、ワルシャワの街で、クラクフの街で、空襲の中、爆撃の中、蓄音機でショパンを聴きながら「二ェ・ダムチェ」と心で叫んでいた無数のポーランド人たちもいたのだろう。

ピアチェーレの演奏会では、僕なりの「二ェ・ダムチェ」を表出できたらいいなと思う。

ポーランド・・・「平原の国」という意味なのだそうだ。

kaz




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