ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ビブラート考 2 

 

おハイソと言われる区に居住しているのだが、世間でのイメージとは違い、僕の住む地域は割と庶民的なのではないかと思う。以前は、あの「センベロの街」のある区に居住していた。お酒は飲めないので、せっかくのセンベロの街との縁はなかったのだが、その区にあった天然温泉には住んでいた頃はよく通った。こちらの区にも似たような施設はあるとは思うのだが、やはりどうも「おハイソ」な感じ?

その「センベロの湯」(もちろん仮名)では、まれに歌謡ショーをやっていた。売れない(?)歌手と言っては大変に失礼だが、名前も聞いたことがないような歌手たちのショー。いきなり緞帳が上がり始まってしまうので、最初は驚いたものだ。そこでの歌手たち、皆さん上手なのだ。プロの歌手なので上手なのは当たり前だが、紅白に出場する演歌系有名歌手と比べても遜色なしという感じ?女性歌手は、皆さん大振袖なので、草履を舞台で脱いで足袋だけになり、くつろいでいる(弛緩している?)畳の間に下りてきて、全員に握手をしたりする。「ここまでやるんだ?ここまでサービスするんだ?」と非常に驚いた、いや感激した。でもどんなに上手くても、やはり都はるみではないし、坂本冬美ではないのね。その人とすぐ認識できるような個性がない。あんなに上手いのに・・・

演歌系の歌手なので、当たり前なのかもしれないが、皆さん、適度なビブラートを持っていた。幼児発声の人、つまりノンビブラートで声を張り上げる人は一人もいなかった。

なんというか、Jポップ分野で、ここまでビブラートのない歌手が活躍、台頭しているとなると、日本人の喉に変化でもあったのだろうかと疑ってしまいそうだ。むろん、そうではなく、受けての好みが変わったのだろう。ノンビブラートの発声が、歌手の発声ということになっても、なんの疑問、違和感を感じない人、主に若者が増えたということなのだろう。

でもそうなのだろうか?20歳の人と、ちょっと実験してみた。彼女は今流行りのJポップをよく聴く。僕が苦手な大人数でダンスしながら・・・みたいな歌。あんなのとか、こんなのとか、名前と曲を熱っぽく語ってくれるのだが、オジサンには同じに聴こえてしまうのね。僕が「この人は歌唱力がある」と感じる歌手の名前を言っても、彼女はほとんど知らない。「そんな人知らな~い」

この動画を聴かせてみた。日頃彼女が聴いている歌とはタイプが違うはずだ。バラードだし、ビブラート満載だし。もし、現代の若者の好み、歌を上手いと感じる認識が昔と変化したのであれば、「ダサ~い」とでも言われてしまうのかもしれない。

「えっ?こんなに上手い人聴いたことない。誰?」

そういう反応だった。やはりビブラートと職業歌手との関係は健在なのだ。昔と変わったわけではないのだ。

若者受け(?)する音楽を提供するのは、やはり大人なのだろう。制作会社とかテレビ局とかレコード会社とか、プロダクション等という、提供側の姿勢が関係しているのかもしれない。若者が変わった・・・のではなく、知らない、触れたことがないのだ。受け手は供給されたものを信じる傾向がある。歌ってこういうもの・・・と。これはクラシック界も同様だと思う。コンクールで賞を取った人がピアニスト、教育機関で目指されているような演奏、そのような演奏を皆が目指し、そして同じような演奏を供給する。「ああ、これがクラシックなのね」と。音楽雑誌に頻繁に登場する人がピアニスト、ツタヤのレンタルCDの棚で見つかるような演奏家がいい演奏家・・・それ以外のタイプの演奏に触れる機会がない。辻井君は知っていても、コルトーは知らない・・・フジコ・ヘミングは知っていてもヨゼフ・ホフマンを知らない。

与えられたものを「こういうもの」と受け取ってしまうこともあるだろう。もしかして、与えられたものに供給側の何らかの意図、操作があったら?供給する側は売れて欲しいわけだから。

kaz




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