ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

今は泣いて、あとで弾け! 

 

今は泣いて、あとで弾け・・・これはイヴァン・ガラミアンの有名な言葉なのだそうだ。基礎をみっちり、表現はあとからついてくるという意味なのだろうか?

二つの解釈があると思う。一つ目は、まさに文字通り受け取る解釈で、とにかく指を鍛えて、動くようにする、それすらできないのに、素敵に弾きたいとか、そんなことはありえない。退屈でもワシワシと基礎練習をするのだ。チェルニーもバリバリとノーミスで弾ければ、曲も弾けるだろう?

もう一つは、メカニカルな技法、法則というものは、表現というものに結びついていて、決して切り離せないものなのだから、表現の基礎となるべき技術をマスターすること。

Aさんによれば、ガラミアンは、スケールとボウイングに特に厳しかったらしい。曲のレッスンでも、ことあるごとに基礎的なボウイングパターンの練習になったり、スケールに戻ったりとか、一切の妥協がなかったらしい。

ジュリアード音楽院の名教師、それも伝説的な名教師ともなれば、そのレッスンは、もう少し哲学的というか、お芸術的(?)なレッスンを想像する。「そこは妖精が舞い降りるように弾くのだ」とか?でも、この動画のレッスン、完全に地味地味基礎練習のような?ちょっと想像と違った。まあ、これはガラミアンスケールのレッスンという特殊例なのだろうが・・・

考えてみれば、ヴァイオリンに限らずだが、弦楽器って、ピアノと比較すると、奏法と表現というものが一体化したようなレッスンなのではないかと想像したりする。例えば、スタカートとレガート、スピカート、それぞれの弾き方をみっちり習う(教える)みたいな?ピアノの場合はそのあたりが、かなり曖昧のように思う。「そこはスタカートなんだから、切るのよ」とか「もっと短く」とか。どう切るの?その具体的方法は?指は?腕は?そのようなことが、導入段階から、かなり曖昧のような気がする。

今は泣いて、あとで弾け・・・初歩段階から表現と奏法を切り離すな・・・ということなのでは?表現というものは、後づけでウッフーンのようにつけるものではなく、またそのような才能のある人だけができるものでもなく、そのように弾く技術というものを、まずは習う必要があるのでは?教える必要があるのでは?

kaz




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