ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

カートに入れる歌たち 

 

懐メロばかりではいけない。最新流行の歌(パフォーマンスと言うらしい)も聴かなければ・・・

積極的にではないが、売り上げや、オリコンのチャートなどを調べ、恐る恐る(?)聴いてみることもある。聴きもしないで「最近の歌ってダメだよなぁ・・・」とだけはならないように。歌というよりは、ダンスのおまけという印象ではある。各々の歌手(アーティストと言うらしい)の個性というものは、聴きとろうとしても、僕には難しい。

ダンス主体というか、リズム主体なので、歌詞もカタカナ語が頻繁に使用されるのだろう。フレーズ感が短めなのが共通している。「たしかに歌い継がれるという要素はないだろうなぁ・・・」と感じる。覚えにくい曲調ではある。

スマホ、ネット全盛時代になり、かつてのようにCD一枚をショップで購入するというよりは、一曲をネットで購入、気軽にヘッドフォンで聴く、聞き流す(?)というような気軽な感じが今風の歌を支えているのかもしれない。音楽をカートに入れる人の割合は、懐メロ世代よりも若者が多いだろうとも思う。音楽を供給する側も、やはり商売だから売り上げのようなもの、カートの中身を気にしないわけにもいかないのだろう。

逆に、カバーアルバムは順調に売れているらしい。懐メロ世代も生息しているわけだ。たしかに新しいヒット曲、それも歌い継がれるような新曲を提供するよりは、かつてのヒット曲を再アレンジするほうが、楽なのかもしれない。でも、カバーの需要は存在している・・・ということでもあるのでは?人類からメロディーが古井戸のように枯れてしまったのかもしれないが・・・

歌謡界の掟が、いつの頃からか消滅してしまったような印象を持つ。それはいけないことではないのかもしれない。昔、つまり昭和歌謡全盛時代には仕分けのような掟があったように思う。アイドル、歌謡曲実力派、演歌系、フォーク系・・・のような?今は特に演歌が衰退していると言われたりするが、僕も演歌は子どもの頃からあまり聴かなかった。どの世代の人も知っている大ヒット曲としてテレビで流れるので「津軽海峡冬景色」も「北の宿から」も違和感なく聴いていたけれど、自分の好みで聴いていたわけではなかった。昔から人、世代の好みというものは存在していたように思う。

アイドルは、アイドルだ・・・という掟もあったような?歌唱力そのものではなく、アイドルというだけで仕分けされてしまう。最優秀新人賞なら、それはありだが、アイドルは決してレコード大賞は獲得できない・・・のような掟。天地真理、浅丘めぐみ、桜田淳子といったアイドル達、今のアイドルのように自分を「アーティスト」とは呼ばなかったんじゃないかな?

戦前にも当然アイドルは存在した。この人はアイドル歌手というよりは、名子役として有名だった人なのではないかと思うが、華憐な印象は凄まじい(?)ものがある。世相の暗さを吹き飛ばすかのような爽やかさ・・・

昭和17年当時、さぞ、一服の清涼剤のように、戦争一色だった世界を塗り替えるかのような印象だったのではないだろうか?

でもそうはならなかった。高峰秀子の歌うこの曲は発売4日後、発禁処分になってしまった。時の内務省の言い分はこのようなものだった。

「敵性音楽的なバタ臭さがある」

作曲者の米山正夫(名曲多し!)は勇敢にも役人に抗議をした。「冗談じゃない!同盟国ドイツの作曲家、アイレンベルグの曲を前奏と間奏に取り入れたのに!」当然彼の抗議は無視されてしまったわけだが。

今聴いても「ああ、アイドルの歌だな」と感じる。この可憐さはアイドルのもの・・・

昔もアイドルはいたのだ。

敵性音楽的なバタ臭さ、それは何だろう?歌詞がいけなかったのかな?ファミレドシドレミファ・・・とか?日本音名ならよかったのか?ハニホヘ・・・?

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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