ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

将来の抒情歌 

 

介護福祉士試験では実技試験というものもあると思う。当然、就職後に必要な介護実技能力を見極めるためのものだろう。その実技試験で歌の試験を加えたらいいかもしれないなどと思う。歌詞カードを渡されて受験者は当日指定の歌を歌う。「湖畔の宿」とか「東京の花売り娘」「銀座カンカン娘」のような曲。いきなりの当日指定がいいのではないかと思う。

今の若い介護スタッフの中には抒情歌を知らない人もいる。今流行りのダンサブルなヒット曲を高齢者と歌うわけにはいかないだろう。なので古い歌を知っている必要はあると思うのだ。歌詞を暗記などはしていなくてもいいと思うが、歌詞カードや模造紙に書かれた歌詞を見れば歌えるようにはなって欲しい気がする。

戦前の歌を知らないというのも困るだろうが、いわゆる昭和歌謡も知らない人がいたりする。「えっ、こんな曲知らな~い!」個人的にショックだったのが、「三百六十五歩のマーチ」「瀬戸の花嫁」「忘れな草をあなたに」「バラが咲いた」のような曲も「こんなの知らな~い」という若者がいるということ。

「お勉強しましょうね」とも思うが、たしかに平成生まれの若者にとっては、日頃慣れ親しんだ歌でもないのだろう。でも、平成生まれと言っても、そろそろ三十路・・・という人もいるはずだ。

平成生まれの人、現在十代という人も含めて、順調な人生を歩めば60年後には80歳ぐらいにはなっているのだ。その時、高齢者施設の歌レクや音楽療法の時間に、どんな歌を歌うのだろう?すべての人が共有しているような歌はあるのだろうか?他人事ながら心配してしまう。

テレビで歌番組が復活、リズム主体のような歌から、誰でも共有できるようなメロディーの復活、そのような歌を皆で共有できるような歌声喫茶のような場の復活・・・そのようなことを夢見るよりも、現在残っている抒情歌を歌い継ぎ、次の世代に残していくような発想が必要なのではないかと思う。具体策などは持ってはいないが。

「北上夜曲」という抒情歌、若い世代の認知度は高くはないと想像する。でも、このような歌が途絶えてしまうのは、なんとも哀しい。

昭和16年の歌なので、大変に古い戦前の歌ということになる。戦争まっしぐらという頃の歌でもある。最初は作者不詳ということで、主に東北地方で歌い継がれてきた曲のようだ。「いい曲だね」「哀しい曲だね」と人々の間に広まっていったらしい。全国区で火がついたのが昭和30年代らしい。歌声喫茶にて全国的に歌われるようになっていったらしい。歌声喫茶でのリクエストも常にトップという人気だったようだ。歌詞内容に基づく映画も各社で制作された。大ヒットした曲なのだ。

その頃、この曲の作詞作曲が判明した。作詞が菊池さん、作曲が安藤さんという人で、ともに岩手県の人。専門的に作詞や作曲を学んだ人たちではないらしく、二人はその後教師になっている。二人が十代の頃の作品だということだ。

昭和16年、盛岡市白百合学園女学校生徒と盛岡第一高等学校生との悲恋話を基に当時岩手師範生徒の菊池さんが作詞したということだ。二人は北上川で入水自殺をしてしまったらしい。周囲の理解を得られず、絶望したのであろうか?女学生だけが亡くなり、男性は生き残った・・・

だから、このような詞なんだな・・・と。

今の若い世代の人は、この曲を聴いたら「ダサ~い」とか「暗~い」とかだけ思うのだろうか?そうではないと信じたいところがオジサンにはある。

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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