ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

平凡な毎日とピアノ 

 

喜怒哀楽を出す方ではない。波乱万丈人生というわけでもない。平凡な毎日と言えるだろう。そのような生活の営みと、ピアノを弾くとか、練習するということを、特に切り離してはいないように思う。このあたりは人それぞれなのだろうが。

むろん、演奏会本番の日が決まっていて、その日に向けて仕上げていく(?)となると、日々の練習は日々の練習であり、その時に「人生とは?」なんて考えるわけではないけれど、そもそもの動機、弾いてみたい・・・とか、ピアノは弾き続けたい、そのようなものは、どこか日々の生活の中での「痛み」「切なさ」のようなものに起因している気もする。

ある種の音楽、演奏を聴くと「君もそうだろ?」と向こうから語りかけてくるし、僕から「そうだよね?」と語りかけたくなる部分もある。このような部分は「音楽」であり、同時に「日々の生活の感情」であるように思う。

曲を仕上げる・・・という感覚よりも、弾きたいと感じた諸要因を最初にして、サークルを描きたいと思う。本番では、感じた諸要因、切なさのようなものを人と共有したいというか。「そうだよね?」みたいなものを共有してサークルを完成させたいと思う。そのような意味で、自分の人生経験と演奏というものは切り離してはいない。このあたりも人それぞれなのだろうが。

このシーンの紀子(原節子)は「東京物語」の中でも特に美しく撮られているように感じる。「あんたはいい人だ」そう言われる。「遠慮せずに再婚したら?あんたはまだ若いんだし・・・」そうも言われる。

そうなのだろう。優しさからそう言っているのだろう。でも8年経っても夫が忘れられないというよりは、次の人生に進むのが辛いのだ。怖いのだ。それだったら寂しいけれど、今のままでいい。私も「いい人、いい嫁」ではなく家族として、自分の醜いところもさらけ出したい。ありのままの姿で・・・そんな「いい人ではない」自分もこの家族が受け入れてくれたら・・・

「あんたはいい人だのう・・・」

ああ、姑は自分の気持ちを分かってくれない、いい人すぎるような姑だけれど、この人は私を分からない・・・

この動画の3分45秒あたりだろうか、紀子の数秒での顔の表情がそう語っているように感じる。

日常の何気ないシーン、心の動き、そう、平凡なことなのだ。殺人が起こるわけでもないし、大災害があるわけでもないのだ。でも生きていると積み重なっていく。何かが積み重なっていく。他人に言っても仕方のないような心の内側のことだ。

音楽が語りかけてくる。「辛いよね」と。

だから弾きたいと思う。

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top