ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

諸国民の中の正義の人 

 

下呂温泉から地図を下に辿っていくと、八百津町という小さな町がある。ここには杉原千畝の、これまた小さな記念館がある。杉原千畝は、最近でこそ彼の功績が映画化されたりして、多少は有名になった感があるが、少し前まではその名前すら知られていなかったのではないだろうか?

イスラエル政府は杉原千畝にヤド・ヴァシェム賞を与えている。勲章みたいなものであろうか?ヤド・ヴァシェム賞よりは「諸国民の中の正義の人」と表した方が分かりやすいかもしれない。ユダヤ人たちを、自分の命の危険さえ顧みずに助けた非ユダヤ人への功績を讃えた賞。日本人では唯一、杉原千畝だけが受賞している。この賞を授かった人、有名なのは、これも映画化されたオスカー・シンドラーあたりかと思う。

リトアニアのカウナス、ここの日本領事館の領事代理として多くのユダヤ人のためにヴィザを発行した。日本政府の正式な判断ではなく、杉原千畝の独断での発行だったらしい。これは外交官としては、ある意味失脚・・・を意味していたのかもしれない。それでもヴィザを発行した。映画の中でもこのようなセリフがあった。

「僕がすべてを失っても君はついてきてくれるかい?」妻の幸子に言うセリフだ。

カウナスに杉原千畝の記念館があるらしい。でもリトアニアは遠い。岐阜県は杉原千畝の故郷。だから記念館があるのだろう。旅の最後の訪問地に相応しいように思う。

戦後、日本の外務省は杉原千畝の功績を長い間認めなかった。杉原千畝という外交官の存在すら否定していたらしい。命を助けられたユダヤ人が戦後日本を訪ねてくる。「命の恩人なのです。生きていたらまた会いましょうと約束しました。これが彼が書いてくれたヴィザです。今彼はどこにいるのでしょう?」外務省の答えは「センポ・スギハラなどという人物は存在しません」というものだった。

チウネという名前が外国人には発音しにくいだろうと、彼はよく「センポと呼んでくれ」と言っていたらしい。千畝をセンポ・・・と。外務省としては、本名ではないのだから「そんな人物は存在しない」と答えたのだろうか?お役所とはそういうものなのか?分かりそうなものじゃないか?おそらく訪ねてきたユダヤ人たちはカウナスの領事館というような情報は言っていたはずだ。

杉原千畝の存在が長い間知られていなかったのには、日本側の対応にも理由がありそうだ。日本政府が杉原千畝の功績を正式に認めたのは、なんと2000年ということだ。戦後何年経っているというのだろう?

kaz




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