ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ブログの難しさ、それぞれの意味合い 

 

いくつか前のカぺルの記事について鍵コメがあった。鍵コメなので、その文章をコピーしてここに張り付けるわけにはいかないし、そのつもりもない。攻撃メールのような内容ではなく、僕の文章が新たなデマの発進元になってしまうのではという内容だった。

カぺルの訃報を聞いたホロヴィッツが「これで僕が世界一だ」と言ったというエピソード。個人的にはホロヴィッツが言ったとは思えないし、ブログでも「本当に言ったとは思えないが・・・」とは書いている。でも言葉足らずだったかもしれないとは思っている。

ホロヴィッツが言ったとされる、この言葉は、ネットで知ったのだと思う。また、当時のホロヴィッツの状況から考えて「世界一だ」などと言ったとは思えないといった内容の文章もネットで読んだ記憶はある。ネットでなく何かの印刷物だったか、そのあたりの記憶も曖昧だ。

ネット(ブログ)という媒体に文章を書くのならば、そのエピソードなりの出典を外国語の資料まで含み、分析して書く、つまりブログを書く時には、そこまで調査して書かなければならないというのも、ちょっと大変なような気もしている。

自分としては、僕のブログがそれほどの影響力があるとは思ってはいない。ブログ村のランキングというものも気にしない方だと思う。何位ぐらいをキープしていたいという欲求はない。ただ、ブログ村のピアノランキングを開いた時に、最初のページには留まっていたいな、50位以内にはいたいなとは思ったりしている。

最近は、このブログのハンドルネーム(つまりkaz)でピアノを弾いたりしている。聴きに来てくれる人は、リアルな知り合いという人よりも、ネットつながりの人が多い。「ブログいつも拝読しています」のように言われることが増えてきた。また「ブログを読んで演奏を聴いてみたいと思っていました」とも言われたりする。ブログを書く、その文章が発信されるということについて、もう少し慎重になってもいいのかもしれない・・・などとは少し思う。

思うけれど、このブログは論文のようなものにはしたくはないという想いも強い。ある人間の生活と密着した音楽との関わり・・・のようなものを書きたい、共有したいという欲求は、これからも変わらないようにも思う。カぺルに関しての文章もそうで、カぺルというある時代を一瞬で駆け抜けてしまった一人のピアニストを知ってもらいたいという想いから書いている。「ホロヴィッツって酷い人なのねぇ・・・」ということを書きたかったわけでは、もちろんない。ただそう受け取ってしまう人もいるかもしれない。そこが難しいところで考えてしまうところでもある。

自分自身、非常にまれな確率で生かしてもらっているという想いが強い。医療的に分析すれば、予後は決してよくなかった。なので生きているということに感謝しなければならないだろう。でもその想いを常にキープしているわけではない。なんとなく生活は続いていくような感覚でいるし、一時のような緊迫感は今の僕にはないのかもしれない。つまりだらけてきている、怠惰になってきている。

事故であれ、重篤な病であれ、非常に早く亡くなってしまった演奏家を聴くということは、僕にはとても大きな意味を持つ。「なんとなく毎日を過ごすなよ」「明日という日はあるかもしれないけれど、永遠には続かないのだよ」そのようなことを細胞レベルで認識できるような気がする。駆け抜けた演奏、そのような演奏を紹介したいという想いも非常に強い。

マイケル・レビンというヴァイオリニストを紹介したい。30代で亡くなってしまったと記憶している。たしか転倒して頭部を打ってしまったのが死因ではなかったか?天才と言われ、早々とその才能を披露していたけれど、長くは続かなかった。才能が枯れたというわけではないと思う。でも晩年は麻薬にも手をだしていたとか?

レビンはアメリカ人なので、本来なら英語の文献を、ネットなり印刷物を取り寄せて調べてからこの文章を書くべきだったのだろう。でもそれは大変だなと思うし、レビンの演奏から何かを感じてもらいたいという想いのほうが強い。

レビンには何かが起こったのだ。その何かは分からない。でも凡人の生活にも「何か」は存在する。それは小さな小さな豆粒のような出来事かもしれないけれど、生きていく以上何かはある。この演奏から聴いている人、それぞれの何かを感じてもらいたいという想いからブログを書いている。

kaz




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