ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

高度経済成長期 

 

1973年、高度経済成長期の真っただ中。当時のアイドル、天地真理は「若葉のささやき」とか「恋する夏の日」というヒット曲を歌っていたと思う。2歳の時に両親が離婚、母親が一人で育てた。大変だっただろうなと思う。小学5年生の時にアップライトピアノを買ってもらい、ピアノを習い始める。5年生から・・・というのは随分遅いスタートだと思うが、天地真理は国立音楽大学付属中学に入学する。これはかなり頑張ったのではないかと想像する。

ピアノを習わせた理由として「女性が一人でも生きていけるように」という母親の想いがあったと何かで読んだ記憶がある。当時のピアノ教師というものは、安定した職業でもあったのだろう。

1970年代、たしかに多くの子どもがピアノを習っていたように思う。どのピアノ教室にも生徒がワンサカと詰めかけていたような?自分もその一人であったわけだけれど。当時のピアノの先生たち、とても苦労したんじゃないかな?今のように情報もないし、セミナーなどもなかった時代だったと思うし、音大では「練習しない生徒をどう導くか」なんて習ってはこなかったはずだから。

それでも数が多い、つまり習っていた人数が多いということは凄かった。フリル満載のドレスで舞台で演奏する、つまりピアノ発表会というものは、日本の文化として定着したのではないかと思う。日頃クラシック音楽などとは縁のないお爺ちゃん、お祖母ちゃんが、可愛い孫のために一生懸命クラシックの小曲を聴くなどという光景もあった。

日本という国でピアノというものが一般化した理由、一つは高度経済成長期というもの、そしてその頃は子どもの数も多かった。ピアノ教室、発表会というものが普通の家庭に浸透していった。深窓の令嬢ではなくてもピアノに親しめるようになった。数や経済だけが理由だろうか?

この時代に「ピアニスト」という存在を一般市民に印象づけた人がいる。中村紘子というピアニスト。テレビのコマーシャルにも出演し、それまでは、ヘアスタイルはいつもアップ、どこか厳し気で高尚な・・・というピアニストという印象を変えた。日本全国津々浦々まで華やかなドレス姿、華やかな舞台姿で演奏して、ピアノ演奏というものを浸透させた。

彼女の存在は当時のピアノ少女たちの憧れではなかったか?

1973年、中村紘子はショパンの大作を録音している。経済成長もピアノ教室繁栄というものも、どこか過去のものとなった今、当時の憧れというものを、じっくりと聴いてみるのもいいかもしれない。

kaz




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