新天地で・・・
「鉄のカーテン」という言葉、どこか神秘性を感じさせる。西側には紹介されず封印されていたような才能。しかし、一度西側に知られれば、大きく未来は開けていく、そんなイメージがあった。かつてベルマンが日本で売り出された時、この鉄のカーテンの神秘性というものを感じたものだ。彼のレコードの帯には「とにかく聴いてごらんなさい!」などという文字があった。そして聴いてみたら、たしかに凄かった。
ウラディーミル・バックの場合、ベルマンやアシュケナージのようにはいかなかった。どこかインプレサリオたちから疎んじられるようなところでもあったのだろうか?頑固だったとか?彼の演奏を聴くと、なぜに華々しく西側で活躍しなかったのか不思議にさえ思う。
アメリカに移っても、各都市を転々とするような、そんな生活をしている。ピアノなど置けないアパートに住んでいたりもしている。でも全く演奏できなかったわけでもないのだろう。
モスクワ音楽院でヤコブ・フリエールに師事し、やはりアメリカに渡ったウラディーミル・フェルツマンは、彼のことを「生きる伝説」とさえ言っている。でも同時に「ピアニストとしての生活は非常に不安定であった」とも言っている。彼を高く評価したピアニストとしては、フェルツマンの他には、ホロヴィッツ、そしてアルゲリッチなどがいる。
ただ、ただ、演奏の場に恵まれなかった。大衆に受けないという演奏でもないと思う。むしろ、歓迎されるような演奏に感じるのだが・・・
なんとなくだが、感じることがある。演奏を聴く我々が情報に頼りすぎていないだろうかと。
kaz

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ウラディーミル・バックの場合、ベルマンやアシュケナージのようにはいかなかった。どこかインプレサリオたちから疎んじられるようなところでもあったのだろうか?頑固だったとか?彼の演奏を聴くと、なぜに華々しく西側で活躍しなかったのか不思議にさえ思う。
アメリカに移っても、各都市を転々とするような、そんな生活をしている。ピアノなど置けないアパートに住んでいたりもしている。でも全く演奏できなかったわけでもないのだろう。
モスクワ音楽院でヤコブ・フリエールに師事し、やはりアメリカに渡ったウラディーミル・フェルツマンは、彼のことを「生きる伝説」とさえ言っている。でも同時に「ピアニストとしての生活は非常に不安定であった」とも言っている。彼を高く評価したピアニストとしては、フェルツマンの他には、ホロヴィッツ、そしてアルゲリッチなどがいる。
ただ、ただ、演奏の場に恵まれなかった。大衆に受けないという演奏でもないと思う。むしろ、歓迎されるような演奏に感じるのだが・・・
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