ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

近況報告 

 

本日は埼玉で演奏してきた。ムジカ・ソアーヴェの勉強会。勉強会という名の演奏会だろうか。研ぎ澄まされたクリスタルな美しい音で構築された、美しいベートーヴェンを聴いたし、追い続けるシューマンも聴かせてもらった。

僕はこの会には全く無関係なのだが、演奏させてもらった。ほとんどがピアノ教師の演奏という演奏会だ。一部、小学生、高校生数人の演奏があったが、あとは、もうほとんどがピアノ教師。その中で何故か僕も「先生の部」で演奏することに不思議な感じがしたが、考えてみれば、発表会の最後の講師演奏の他に、暗譜で人前でピアノ教師がクラシックの曲を演奏する会は珍しいのではないかと思った。いや、実際に演奏をしながら教えているピアノ教師も多いのかもしれないが、なんとなく、あまりピアノ教師の演奏活動そのものが知られていないように感じる。もっとアピールすればいいのに。「演奏し続けているんですよ」と。

「講師演奏をした。緊張して失敗してしまった。こんなに苦しい思いをするなんて。教師自身がピアノを弾くことに苦しさを感じていて、生徒にピアノの楽しさを教えられるだろうか、そう思った。だから講師演奏はしない」

僕は、これ、おかしいと思う。でも、なんとなく「ピアノの先生って弾かないよね、そう思っている人って多いんじゃない?」などと感じている素人は(僕も含めて)多いのではないだろうか?先生がクラシックの曲を暗譜で舞台で弾いているの、見たこと(聴いたこと)ない・・・という生徒もいたりする?

でも、今日のような演奏会もあるのだ。人々に知られればいいと思う。「発表会まであと〇日よ。間に合うかな?」「舞台では誰も助けてくれないのよ?」これらの言葉、弾かない先生だと生徒に響かないような気がする。練習は大変、時間もない、間に合わない?暗譜は?でも弾かずにはいられないの・・・このような教師の姿を生徒は見ているような気がする。自分が演奏するからこそ教えられるのではないかな?違うかな?

僕の2月のリサイタルは、6月30日(土)に変更しました。すでにこのブログのメールフォームから申し込んで頂いた方には個別にメールさせて頂きました。数日前の「葡萄が目にしみるオフ会」の帰りの電車の中で思ったことだ。都合が悪くなり、申し込んだけれど、行けなくなってしまったとオフ会で言われた。それは仕方のないことだと思ったが、二人とも、個人的に「この人には聴いて頂きたかったな」と僕が思う人なので、非常に残念に感じた。それは事実だが、日程変更まではしようとは思わなかった。でも「ああ、聴いて欲しかったな」という気持ちが日程変更の動機の発端ではあったかもしれない。

生きている間に、オフ会やサークルの練習会ではない、いわゆる演奏会で自分は、あと何回演奏できるだろう?そう思った。一つの演奏会を別の演奏会の「予行練習」のようにはしたくないなと。具体的には、11月のピアチェーレの演奏会、自分の演奏会が2月だと、ピアチェーレはどうしても予行練習になってしまうような気がした。3ヶ月しか間隔がないし。僕は死ぬまでに5回は演奏できないと思っている。病に伏せる予定も死ぬ予定もないけれど。一つ一つの会を大切に・・・みたいな感じだろうか?

今、何故かヴィオラの音色(ねいろ・・・と読んで欲しい)が聴きたくなっている。今日のムジカ・ソアーヴェの演奏会の影響か?それとも「自分はあと何回人前で演奏できるだろう?」なんて考えたからだろうか?

ヴィオラ・・・というよりは、プリムローズの音色(ねいろ・・・ね)が聴きたいのだと思う。

kaz




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