ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

技術と表現を分けている? 

 

まず音を拾い、つっかえずに弾けるようになり、一応通せる・・・になってから、しかるべき表現を考える。譜読みとは印刷された音符を滞りなく弾けるようにすること、表現とか、そんなことは後・・・

なんだか、おかしいとは思うが、もしかしたら、これは昭和ピアノの遺産なのかもしれない。昭和のピアノ遺産と言えば、まずはハイフィンガー奏法ということになっているが、技術と表現というものを必要以上に分けて考えるというのも、これまた昭和遺産なのかもしれない。この遺産は、奏法と比較してみると、負の遺産であるという認識さえあまり持たれていないような?

テクニックとメカニックという概念の混同のようなものも、技術と表現を分ける風習(?)と関係があるのかもしれない。

「当教室ではテクニックだけではなく、心に響く表現も大切にしています」

言いたいことは分かるけれど、これ、本当はおかしい。テクニックと表現を分けてしまっている。

「テクニックは充分だけれど、音楽的な表現も求めたい」

これもおかしい。テクニックが充分であれば、音楽的になるはずだから。

指が動く、指のアジリティ、あるいはオクターブの連続を楽に、高速に弾ける能力、これはテクニックというよりは、メカニックなのではないか?多くの場合、メカニックのことをテクニックと混同してしまっている。テクニックとは、純粋なる運動、メカニックを音楽表現に結びつけるためのツールを言うのではないか?

オクターブの連続を〇秒で弾ける・・・これはメカニック。オクターブの連続で、なにかしらを表現し、聴き手に「勇壮」とか、そのようなものを伝えられる、これはテクニックになるのではないかと思う。

技術と表現を分けすぎてしまうので、テクニックの本当の概念が浸透せず、メカニックのことを「テクニック」と言ってしまったりするのかもしれない。テクニックと音楽的な表現は分離せずに密接につながっている。

ただ動くようにする・・・ではなく、テクニックを求めるのならば「こう表現したいので、実際には〇〇をこう動かす」のようなものになるのでは?

シフラのトランスクリプション、シフラ本人の録音よりもミスなく〇秒速く弾ききる、これはメカニックの問題で、シフラ本人の演奏より高速だとしても、シフラの演奏よりいい演奏とは限らない。表現を具現化するテクニックは、メカニックとはまた違うように思う。「凄い、速い、ミスもないじゃない?弾いてしまうだけ凄いよね?でもただガンガン弾いているだけかも?」このような場合、メカはあるけれど、テクニックが不足しているから、ただガンガン・・・のように聴こえてしまうのだと思う。

テクニックだけではなく、音楽的表現も・・・ではなく、本当は、テクニックがあればガンガン・・・にはならない・・・だと思う。

このような人の、このような曲の演奏、メカニック、テクニック、音楽的表現というものをどのように捉えればいいのだろう?

お爺ちゃんだからテクニックは若い人よりも劣る・・・ではないような気がする。テクニックにより表現を生み出すのでは?

kaz




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