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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

練習 

 

リストはグリーグのコンチェルトをグリーグの目の前で初見で見事に弾いてしまったらしい。アルゲリッチは隣室から聴こえてきたプロコフィエフの3番のコンチェルトを耳だけで覚えてしまい、それだけで弾いてしまった・・・

このようなエピソードって、都市伝説のような?本当だろうか・・・などと思ったりもする。でもまあ、本当なのかもしれない。アルゲリッチは、プロコフィエフの3番よりも、はるかに音の少ない曲などは、練習などしなくても弾けてしまう?ショパンのソナタとか、聴いただけで弾けてしまう?

やはり練習はするのではないだろうか?危険なのは、難なく曲を弾けている人は、そのような何かしらの才能があると思ってしまうこと。「自分とは違うんだわ」みたいな。そうではなく、他人には思いもよらない練習をしていたりするんじゃないかな。

練習というものは、継続性、習慣性を持つものだから、ある意味危険なのだ。本人は一生懸命練習しているつもりであっても、どこか道からそれてしまっている。でも本人は気づかない・・・みたいな?

音楽的な表現というもの、自分でも不足していると思う。でもどうしていいのか分からない。なので、とりあえず難しいパッセージを練習する。実際に弾けないところは沢山あるし、練習すべき箇所は沢山ある。あたかも、機械的にでも繰り返しパッセージを練習していれば、音楽表現の神様が、いつか舞い降りてくるかのように練習する。でも、音楽的表現のための練習というものは、別にあったりして。茨道を通った人のみが音楽的経験に目覚めるということでもなかったりして。その部分は突き詰めてしまうのが苦しいので、とりあえず反復練習をする・・・するしかない。これは辛いだろうと思う。

機械的な練習ばかりしていると、いつのまにか「保険練習」のようになってしまう危険性もある。この部分が心配だから、本番で失敗したらイヤだから、とにかく繰り返し練習するのように。本番での安心感を練習で買う・・・のような?本番では緊張し、100パーセントの力は出せない。なので日頃から120パーセント弾けるようにしておくのだ。このような考えって、賞賛されたりするのではないかな?でも安心を買う・・・みたいな保険みたいだ。

本番でも練習の時と同じように弾けるようにする。徹底的に。でも、本番は自宅での練習とは異なる要因が沢山ある。着ている服がいつもと違うし、靴も違う。聴いている人がいるということも違うし、楽器も空間の感覚も異なる。いつもいつも「同じように・・・」と念じて練習していたら、同じではなくなった時にどうしたらいいのだろう?

「あんなに練習したのに・・・」この時の落ち込みようったらない。あんなに・・・がいけなかったのかも?「同じように」ではなく「違った場合どうするか」という対処に欠けていたのかも・・・

ピアニストも練習する・・・

kaz




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