ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアニスト グラナドス 

 

作曲者の自作自演、ご本人の演奏なのだから、お手本のような演奏を想像してしまったりするが、意外と「ラフ?」と感じることが多い。ドビュッシーとかフォーレとか。「楽譜と違うのでは~?」などと単純に驚いたりもするが、曲へのアプローチというか、再現への方向性が一般的職業ピアニスト(?)とは異なる印象を持ったりもする。

でもそのように感じるのは、現代のピアニストの演奏によって、その曲を我々が認知することが多いからかもしれない。よほどの「往年ファン」という特殊(?)な趣味の人でなければ、CDを買ったりするのは、現代のスターのものとなると思う。どこか無意識に、練り上げられたというか、機械で完璧に修正、お化粧された演奏に慣れてしまうと、作曲者自作自演は、どこか自然というか、ラフというか・・・

クラシック音楽は再現芸術なのだ、ジャズなどとは違うのだ。それはそう思うし、そうでなければクラシック枠から外れてしまうのかもしれないが、ただ完璧に再現できる人はいくらでもいる。現代の演奏家でも、惹かれる要素、つまり演奏会を聴きたい、CDでその人の演奏を聴きたいと思う要素としては、完璧な再現の部分というよりは、枠外の部分というか、その人でしか聴くことのできない部分であり、現代でもピアニストとして長く活躍している人には、この人でなければ・・・みたいな個性があったりはしないだろうか?

グラナドスがピアニスト、作曲家として活躍していた頃、グラナドス自身を取り巻いていたピアノ界、ピアニストたちのサウンドはどのようなものであったのだろうか?自身が卓越したピアニストであったグラナドスの演奏には、ある意味でのラフさは一切感じない。ラフマニノフの自作自演と、そのような意味では共通点を感じる。

かつては、ピアニストとは再現、演奏するだけではなく、今では演奏家としてだけ名を残している人でも同時に作曲家でもあった。つまり音楽家として総合的なインテリジェンスのようなものを持っていたのではないか?その点でグラナドスの演奏と、当時活躍していたピアニストと共通しているものを感じる。

ラフマニノフの難渋な曲、独特な音の厚みの連続を感じる。怒涛の和音・・・みたいな?誰が弾けるの・・・みたいな?グラナドスの難渋さ、「ゴィエスカス」のような曲には、厚さの連続というよりは、分散させた難渋さというのだろうか、駆け巡る難渋さを感じる。鍵盤を左右に駆け巡る、そのため楽譜がどうしても3段譜になってしまう、そのような難渋さ・・・ラフマニノフと同様、誰が弾けるの・・・みたいな?

「ゴィエスカス」の初演はグラナドス本人が行っている。「ゴィエスカス」の、それぞれの曲は当時活躍していたピアニストたちに献呈されている。当時のスターたちに。

まずは、グラナドス自身の演奏を聴きたくなった。怒涛の3段譜を軽々と孫悟空のように(?)駆け巡るグラナドスを聴きたくなった。さらに、当時のピアニストたち、グラナドスから曲を献呈されたピアニストたちの演奏も追ってみたくなった。

そこには現代のような「私書く人」「私弾く人」という完全分業制度ではなかった時代を感じることができるような気がしている。

kaz




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category: リサイタル 2018

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