ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ルードヴィヒの恋文 

 

昭和ピアノ時代の想い出として焼き付いていることがある。中学生になったらピアノは辞めてしまったのだけれど、最初は継続するつもりでいた。それまでの先生とは、あまりうまくいっていなかったということもあり(楽譜を破られたりした)、違う先生を探して。でもそれもうまくいかなかった。今のようにネットがあれば・・・と思う。どのような先生かって、その先生の文章、ブログ、ホームページを読めばつかめたりするものだ。でも当時は「近いから」「評判はよさそうだから(あくまでもその地域で)」ぐらいしか判断材料はなかった。門を叩いて初めて分かる・・・みたいな?

前の先生のところではバイエルの途中だったけれど、その頃は楽譜も読めるようになっていたので、ベートーヴェンのソナタを弾いたのだと思う。シュナーベルに傾倒していた頃だ。「悲愴」の第2楽章を弾いたと思う。我ながら第1楽章に挑戦しなかったのは判断としてよかったと思うし、なによりもシュナーベルの悲愴の第2楽章が素晴らしかったのだ。歌を感じたというか?弾きたかったのだ。

「ベートーヴェンは歌ってはいけません。もっと厳格に弾くものです」とその先生に言われた。そして定規を背中に入れられ、となりでパチンパチンと拍子をとられて、「この通りに弾きなさい」と。子ども心(中学生だったが)に反発を感じたんだね。ピアノそのものを辞めてしまった。この「ベートーヴェンだから厳格に」という言葉に反発を感じた。定規にもだが・・・

今も「厳格ベートーヴェン」というものはピアノ界に健在なのではないかと思う。怒涛のようなベートーヴェン?彼のヘアスタイルのように人生は渦巻いていて、それに打ち勝つのが彼の音楽・・・のような?美しさはどこへ???

怒涛のベートーヴェン、崇高なるベートーヴェン、個人的には鬱陶しい。暑苦しいというか。ある先駆者的な日本人ピアニストは、練習室に掲げられたベートーヴェンの肖像画に最敬礼をして練習を始めていたのだそうだ。もしかしたら肖像画ではなく銅像だったかもしれないが、このメンタリティーをベートーヴェンに取り組むときには今もどこか求められているような?ソナタ集は新約聖書と例えられたリ。音楽の総元締め、教祖様的存在?このあたりが暑苦しい。

「ベートーヴェンって素敵♡」ってあまり言われたりしない。素晴らしいとは言われるけれど。美しいベートーヴェンは邪道?

いきなり映画の話題になるが、「Sex & The City」という映画でキャリーがビッグに読んで聞かせる本があった。「偉人たちのラブレター」のような本。この本、実は架空の本で、そのような本は出版されていなかったのだが、映画公開後「あの本は手に入るのですか」という問い合わせが女性を中心に殺到したらしい。映画の影響って凄い。その後日本を含む8か国で出版された。

キャリーが読んだラブレター、最も反響のあったのが、実は怒涛のクラシック音楽総元締めであるベートーヴェンのラブレターだった。「まぁ、ベートーヴェンってなんてロマンティストなの?いじらしいくらいだわ」世の女性(男性も?)の多くがそう感じたのだ。そこには後輩から敬礼される崇高な男性ではなく、一人の男がいた。恋する一人の男・・・

美しいベートーヴェンを感じるには、一度ピアノの世界から離れて歌曲の世界のベートーヴェンに触れてみるといいのではないかと思う。「アデライーデ」という実に美しい歌曲がある。ユッシ・ビョルリングの歌唱などで聴くと、僕など昇天してしまいそうになる。この曲はルードヴィヒの恋文ではなかろうか?

ルードヴィヒの恋文、映画の中でも効果的に使用されていたけれど、英語だと実に様になる。でも日本語だとちょっと(かなり?)キザな感じかもしれない。そこまで書く?恥ずかしい・・・のような・・・

一部を引用してみる。

「Ever thine. Ever mine. Ever ours.」

「あなたは永遠。僕も永遠。いつまでもふたりで・・・」

きゃあぁぁぁ・・・

kaz




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