ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

モーツァルト洗礼 

 

1980年だったと思う。昭和55年。ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演。演目はモーツァルトの「フィガロの結婚」、フィガロ役はドイツのバリトン、ヘルマン・プライ。たしか東京文化会館だったかなぁ?この時が僕のモーツァルト洗礼であり古典派洗礼だった。

もう序曲からして「きっちり」「かっちり」という印象ではなく、リズムは弾み、メロディーは宙を舞っていた。客席の僕が、かつての昭和ピアノ教室のモーツァルトをチラリと思い出したのは事実だ。「あれは何だったのだろう?」「あれもモーツァルトだったのだろうか?」と。

でもその時の僕はピアノ道からは離れていて、音楽、ピアノとは鑑賞のみの関わりだったから、その時感じた疑問符を大切に育む(?)ということはしなかった。

プライの当たり役、沢山あるのだと思うが、極め付きは、やはり二人のフィガロだろうと個人的には思う。「フィガロの結婚」のフィガロ、そして「セヴィリアの理髪師」のフィガロ。モーツァルトもロッシーニもヘルマン・プライのためにフィガロを書いた、そんなふうにも思えてくるほどだ。

いわゆる今でいう「イケメン」というのとは違うのだと思うが、舞台でのプライにはセクシャルなオーラさえ漂っていたように思う。ちょっとしたモチーフとか音型の処理とか、もういちいちセクシーなんだよね。

古典派の魅力って「きっちり」「はっきり」ではなく、音と音の波間を漂う・・・みたいなところもあるんじゃあないか?プライのように・・・

こんな風にモーツァルトのピアノソナタを弾いてみたら素敵なのではないかな?楽譜のあちこちにパパゲーノやフィガロが潜んでいる。彼らを発見する楽しみが譜読みだったりして・・・

kaz




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