ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

きっちり古典派 

 

ショパンは人気がある。サークルの練習会などでショパンの曲が登場しないのは珍しいくらいだ。我々の世代が子どもの頃、ピアノを習っていたのは、高度経済成長期になる。いわゆる昭和のピアノ教室時代の洗礼を受けている。今のアマチュアというか、大人ピアノ世代のショパン人気は、その昭和ピアノ時代、つまり、かつての子ども時代の憧れを反映させている面もあるような気がする。ショパンやリストなんて高嶺の花だったのね。

4期によるカリキュラムなんてなかった。どの教室の生徒であれ、その時レッスンで弾いている教材で進度が分かる、そのような時代だった。バイエル→チェルニー→ソナチネ→ソナタ・バッハ・・・みたいな図式?大雑把に考えれば、ずっと古典派っぽいものだけ弾いていたことになる。むろん、ソナタよりも先に進んでいけば、ワルツなどからショパンにも入っていけたのだろうが、現実にはそこまでに多くの生徒が挫折というか、「辞めま~す」みたいな感じだったと思う。

〇年ぶりにピアノを再開、その時に憧れだった、未知でもあるロマン派に憧れてしまうのは当然かもしれない。子ども時代、昭和の憧れを今に継続するのはいいのかもしれない。しかし、負の遺産(?)も今に継続していないだろうかと。

古典派の曲は、しっかり、きっちり・・・みたいな?必要以上に人間的欲望(?)というか、生き生きとした感情を古典派作品において押さえ込んでしまうような?ハイドンやらモーツァルトのソナタってスケールとか、そのような基礎的要素が満載だったりする。なので昭和のレッスン室では「リズム練習を沢山しましょう」とか「〇回反復練習をしましょう」みたいなモードが満載だったのではないだろうか?その部分は通らなければならない道・・・だったのかもしれないし、今もそうなのだと思うけれど、あまりに「修練」のような面が強調されてしまい、「ピアノってつまらな~い」みたいな?古典派の美しさのようなもの、それは均等スケール美だけではなく、他にもあったはずなのに、多くのピアノ生徒たちは、まだ弾くことを許されないショパンに憧れを秘めつつ古典派の美しさを感じることなくピアノを辞めていった・・・

それは昔の話でしょ・・・と切り離している大人はいいのだろうけれど、中には昭和モードをどこか抱えてしまった人もいるのではないか?「モーツァルトとかって難し気で・・・」みたいな感じで遠慮してしまう。

そのような人に朗報がある。古典派のオペラを聴けばいいのだ。全曲は大変だから、ユーチューブでもいいからアリアだけでも聴いてみる。「えっ?こんなに人間的だったの?」「こんなに生き生きと血潮を感じるような?」

ヘルマン・プライというバリトンが昔いた。モーツァルトは1960年代~1980年代、タイムカプセルに乗って、ヘルマン・プライの歌唱を聴いたのではないか?むろん、そんなことはあるはずはないのだが、そう思えてくるほど魔笛のパパゲーノやフィガロなどのキャラクターとプライは融合しているのだ。モーツァルトはプライを知っていた・・・

モーツァルトの傍に、非常に魅力的なバリトン歌手が実際に存在していたのではないかな?

これも古典派・・・なんだよね。生きている・・・美しい・・・古典派は、きっちりさえしていればいいものではない。

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top