ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

残された者 

 

人を見送るのは辛いし、哀しい。時が哀しみを癒してくれるということはないように思う。個人的な感覚だけれど。時は癒してはくれない。残されたものは哀しみを抱えて生きていくことになる。多分、一生。

哀しみや辛さは決してセピア色にはならない。いつまでもいつまでも鮮烈なのだ。

特に若い人が病で亡くなったりした時によく聞く言葉なのだが、「可哀想・・・」という言葉。「あんなに若くて・・・」ということなのだろう。そこには「自分は元気だけれど」という想いが無意識ながら存在しているようにも思う。

亡くなった人が残したもの、それは哀しみだけではなく、あることを教えてくれてもいる。それは人生は有限であるということ。人は、僕も含めて、人生というものは、なんとなく(ダラダラと?)続いていくものだと・・・どこかでそう感じている部分もある。人は必ず死ぬのだ。例外はない。また、明日の保証さえない。事故に遭遇するかもしれないし、重篤な病を患うかもしれない。不確実性、そして有限性というものと人の人生は切り離せないものなのだ。

何度か親しい人を見送った経験がある。その時は「何故、あなたが???」と感じた。何故自分ではなく、よりによって、あなたなの・・・と。その人たちの最期の言葉は共通していた。「すべてやり遂げた。自分の人生には満足している。思い残すことはない。そして死ぬことは怖くない」

まだ若かった人たちだ。人生途中の死・・・ではあっただろう。でも「満足している。自分の人生を生き切った」と・・・

人生の有限性を僕に教えてくれたのだと思っている。

ダラダラと無駄に過ごすなよ。自分自身の人生を生きろ、人の人生を生きるな・・・そう教えてくれたのだと思っている。

あと半年の命だと宣告されたら・・・あなたは何をしますか?

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング

スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top