ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

セピア色表現のツボ 

 

本人には確認できなかったけれど、叔父は病室で生涯最後のレコード大賞、そして紅白歌合戦を観たはずだ。毎年欠かさなかった人だから。電波に乗り、全国的に売れる、知られる、このことに対して無条件の尊敬のようなものを叔父は抱いていた。「歌手は売れなくちゃ・・・」そう生前言っていた。

1972年、レコード大賞受賞曲は、ちあきなおみの「喝采」だったと思う。ちあきなおみ、デビュー当時は、どこかアイドルっぽい感じもした。セクシーなアイドル?そして「喝采」で歌手としての方向転換に成功したような気がする。その方向転換、叔父は感じていたと思う。でも、ちあきなおみは、その後がさらに素晴らしい。叔父はそれは知らない。聴かせてあげたいと思う。

ちあきなおみの「港が見える丘」はセピア色表現だなと感じる。非常に情感豊かというか、濃い表現に思う。セピア色表現のためにはコツがあるような気がする。セピア色のツボ、その箇所を強調するというか?同じようなことをグレン・グールドもバーブラ・ストライサンドの歌唱に対して言っていたように思う。

「イタリック体の巧妙なる使い手」つまり、普通の人なら流してしまうような、なんでもないところの強調に卓越しているのだ。

♪ あなたと二人で来た丘は
  港が見える丘
  色褪せた桜唯一つ
  寂しく咲いていた

まず、最初のツボとしては、メロディーラインが盛り上がるところ「色褪せた桜唯一つ」の部分、ラインが大きな盛り上がりなので、声を張って盛り上げてもいい。というか、普通はそうする。「そこは最初の山よ、盛り上げて~」となる。このようなラインに無頓着だと、「ただ音を並べている」のようにさえなる。

でも、ちあきなおみは、この部分、引きの美学というか、囁く声で歌い、強調している。そのことにより、セピア色が生まれる。

♪ チラリホラリと花片・・・

この「チラリホラリ」が3Dだ。桜が散って落ちていく様子さえ見えるようだ。ここも強調が上手い。チラリとホラリの間に絶妙なる間を入れたりして強調している。桜の花片がチラリホラリ・・・これは過去に失った恋をも表現しているような?

作曲者は楽譜に念を込めた・・・そう考えてみる。演奏者の表現というものは、その楽譜から離れて「アッハーン♡」「ウッフーン♡」と込めるのではなく、そのような要素を楽譜から感じ取り、拾い上げていく。まずは素直にメロディーがどう山を作っているか、さらに細かく一つ一つの音符の長さとか高さとか、そのようなものを拾い上げていく。

セピア色、それは演奏者自身と楽譜との共感というのだろうか、「ああ、この部分・・・萌え♡」と感じる部分。それは演奏者の実生活、人生にそれまであったこと、どれだけ演奏というものから、自分の人生のようなものを照らし合わせてきたか・・・

つまり、言葉なく、ただ「ああ・・・」と演奏を聴きながら泣いてきたか・・・

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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