ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

復興 

 

「港が見える丘」という曲、どこか戦後の復興というものを連想させる。この曲が発売されたのは昭和22年。東京は焼野原となり、ゼロから出発したものが、小さな何物かを生み出していた頃の曲ということになる。

昭和20年の大空襲、ビクターは自社の吹込み所、プレス工場を失ってしまった。翌年、ビクターは新規まき直しをということで、新人歌手を募集した。3000人の応募があったという、合格者は7人。その中の一人、平野愛子が歌った「港が見える丘」はビクターの戦後第1号のレコードとなった。作詞、作曲は東 辰三という人。当時のビクターのディレクター、上山敬三は、東にこのような注文を出した。

「ブルースでいこう。ブルースに似つかわしい、散りかかる桜でいこう」

戦後2年、人々は過去を忘れまいと、あるいは過去を捨てて忘れようと生きていた時代、そのような日本でこの曲が流れた、何か胸が締めつけられるような感じだ。

歌詞そのものは、非常に哀しさを感じさせる。遠い恋の回想・・・という世界だろうか?

現在でも「港が見える丘」は歌い継がれている。ユーチューブでいくつか聴いた中で、水森さんという歌手の歌唱に好感を持った。とても綺麗な声で、歌詞を大切に歌っている。まず聴き手に「上手だな・・・」と思わせる歌唱だ。この曲はキャッチーな割に、歌うのは難しい曲なのではないかと思う。まず、付点のリズムが連続しているということ。短調ではなく長調の曲ではあるが、「明るく弾んで」という曲でもないだろう。そのあたりが非常に難しそうだ。あとは過去の回想のような、どこか歌唱にセピア色の切なさが欲しくなる。セピア色・・・ここが大切な要素のような気がする。

この水森さんの歌唱、どこかクラシックの現代のスターピアニスト、あるいは有名コンクールで入賞するような人の演奏を連想させる。「とても上手い」「丁寧でこなれている」「基本メカニックに秀でている」「音楽表現もそつなくこなしている」・・・不満があるわけではない。でも、セピア色・・・このような要素がもっと欲しい。

苦痛表情で歌う歌ではないと思う。でも笑ってはいけない。微笑みならいい。諦めた微笑みというか?「そんなこともあったわねぇ・・・」過去の哀しみを超越した女が歌う歌なのだ。そのような要素がもう少し欲しい・・・セピア色の何か・・・

現代のスターピアニスト、コンテスタントたちの演奏にも同じように感じる。「もう充分に上手ですから。素晴らしいですから。でもセピア色の要素、切なさが欲しい」と。

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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