ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

老いていくではなく成熟していく・・・ 

 

芸能人の婚約会見、金屏風の前などで、指輪を見せながら。よくある光景だろうと思う。ここで決まったように質問されるのが、「お子様は何人の予定ですか?」という質問。笑顔で「二人ぐらいかな・・・」とか「野球チームができるくらい?」とか答える。大変に微笑ましい光景だと思う。この場で「子ども?私たち子どもは作りません」と答えたら、婚約以上の話題となるような気がする。

結婚=子どもという図式は世の習わしなのだろうか?そのような人たちが多いのだろうが、そう思わない人もいていいような気はする。多数派に対しての少数派、そのような図式が成り立ってしまうのは当然だとしても、少数派=異端という図式は違うのかなと思う。

慣れ・・・意外とあるのかも。昔からそういうものだったから、とか一般的にそれが普通なので・・・とか。そのようなものに慣れてしまう。

最近感じるのだが、幸福感のようなものは、自分自身で演出できるのではないかと。どうしても降り注いでくる困難なものに翻弄されてしまい、自分では何もコントロールできないような気になっているけれど、そうではなく、幸せって感じ方次第というか、意思でつかめるもの・・・

「ああ、悔しい。あの人ばかり何故?」「ああ、私は負け組。勝ち組の人っていい気になってない?」みたいなメンタルではなく、自分で幸せというものを演出するか、しないで諦めてしまっているか・・・

このことを自覚できる時は誰にでも公平にやってくる。それは死の直前。多くの人が「ああ、勇気を出して幸せになろうとすればよかった」と思うらしい。死の直前だと、あるいは不治の病を宣告されてからだと、その思いは後悔ということになってしまうだろう。

「普通は○○のように考えるものよ」「そんなことをすると世間様から色々言われるわよ」みたいなものを取っ払ったら、死の直前に後悔する確率は低くなるかもしれない。

浅田真央選手に対して、いい歳なんだから引退すればいいのに、こう言っていた人は、主に中高年の男性が多かったらしい。では、その人たちは自分の人生をどのようにプロデュースしているのだろう?幸せな輝く60代、70代人生を満喫しているのだろうか?そうも思えないところが哀しいというか面白いところだ。

「こうあるべき」というものを取っ払ってしまうといいのかもしれない。世間様は後ろ指を指すかもしれない。でも世間様は自分の幸せのために何かしてくれるわけでもない。

この動画、映画の広告なのだが、ピアノ仲間が紹介してくれたもの。これを見ながら「自分次第」みたいなことを考える。

人生は劇場で、自分はそこで演技をする・・・人生後半にこのように考えられるといいなと・・・

kaz




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