ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

空の魂を拾う 

 

誰にでも愛は降り注いでいる。でも、それが見えない時もある。周囲には愛が降り注いでいるのに、自分にだけはそれが感じられないと思ってしまう。羨んでしまったり、傷ついてしまったり、周囲を恨んでしまったり。世の中って、どこか切なさをも伴う。自分の人生にもかな。自分の人生が幸せに包まれていても、誰かの尊厳が踏みにじられたり、世界の中にそのような人が存在しているのを知るだけで、それだけでも切ないのだ。苦しくもなる。

切なさ、切ない魂って、空に舞っているのではないかな?

ある人は、その切なさを現世界の認識でも感じられるようなものにしたいと願う。音であったり、色や線であったり、文字であったり。音楽家は音で切ない魂を音楽としてこの世に表出した。それを実際に音として表した演奏家によって、空に舞っていた魂が、聴いていた、あなたに届いた。

「ああ、なんていい曲なの」「切ない曲、自分も弾けたらいいな」そう感じたからピアノを弾いている。ピアノっていいな、苦しいけれど弾くのはやめられないな、そう思うのは、空に舞っていた魂が、届いたから。

練習では弾けない箇所、困難なパッセージなどを弾けるようにする。でもそれは自分に届いた魂を、今度は自分で音として表現するための手段だ。目的ではないのだ。いつのまにか、日々の練習で手段が目的化してしまう。弾けなければ伝わらないので、そうなるのだが、伝えたいもの、表に出したいものは「練習成果」なのだろうか?かつて自分が「ああ・・・」と言葉にできずに泣いた音楽を自分なりに出す、放出することではないか?

日頃の練習で「成果」だけを気にする。「練習の時と同じに弾けますように」と願う。失敗はしたくない。でも本番の日に、いきなりファンタジーだの、音楽表現だの、切り替えられるものだろうか?パッセージではなく、長い練習期間、最初に貰った魂を大事にしてきただろうか?その練習はしてきただろうか?

「アマチュアなのでぇ・・・」「プロとは違うのでぇ・・・」「音大生ではないのでぇ・・・」たしかにそうだが、魂を受け取る感受性にプロもアマチュアもないのでは?人の人生に初級も上級もないのでは?「ああ・・・」と音楽を聴いて涙した、あなたにしか表現できない魂というものもあるのだ。感じた人、その人オンリーワンの魂・・・

魂は空に舞っている。それを音や言葉で具現化したいと思う人がいる。サウンドや詩、小説、映画、写真、絵画、様々な形で魂は何かしらのものとして我々に届く。届いた人はそれをキャッチしたのだ。

1960年代、洋楽って割と切ない歌が多い。切なさが沢山舞っていたのではないかな?世界中が分断していたのかもしれない。ベトナム戦争によって、切ない魂が沢山舞ったのだ。

それを音や詩にした人がいる。それを聴いて、その魂をキャッチした人がいる。

この歌を聴いて「哀しいな」「切ないな」・・・何かしら感じたのならば、魂を受け取ったのだ。今度は自分が自分なりに、世界のオンリーワンとして表出してみるのだ。

「いい曲だな・・・」それは出発点であり、目指す到達点でもあるのではないか?感じる心、キャッチする心にアマチュアとかプロとか・・・あるのだろうか?

kaz




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