ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

天国に持っていく音楽 

 

テッドさんの息子、サイモンさん、そして妻のリンダさん。一連の動画を観ていて感じたことがある。サイモンさんも、リンダさんも妙に(?)明るいということ。辛いという次元を超えた明るさ?まぁ、よくできた人たちなのだろう。でもそれだけだろうか?

愛する父親、夫がアルツハイマー型認知症に。辛くなかったはずはないのだ。自分の下の世話も怪しくなっていたりとか、ヤカンを冷蔵庫に入れてしまったりとか、歯ブラシで髪をとかしたりとか、色々とショッキングな出来事はあったはずなのだ。

職業柄、認知症に関するノンフィクションは読む方だと思う。それらの本の内容は、まさに「ザ・壮絶」とも言えるようなものだ。できれば考えたくない、少なくとも今は蓋をして考えないようにしておきたいようなことだ。「こんなに悲惨なの?壮絶なの?まっ、自分には関係ないことにしておこう」みたいな?家族がいかに大変か、これらのノンフィクションを読むと切なくなってくるほどだ。

でもテッドさん一家は明るいんだよね。不思議でもあるし、そうなんだろうな・・・と納得してしまうところもある。そもそも、認知症って病気なのだろうか?そうなのだろうが、できたことができなくなっていくという、後退・・・みたいなイメージが大きいのではないだろうか?たしかに今、目の前にいる愛する人が、とんでもない行動をする、周囲は愛する人の過去の姿を知っているだけに、そりゃあ辛いだろう。

「なんでそんなことをするの?」「なんで分からなくなっちゃったの?」「こんなことが一生続くの?」

ピュアになっていくのではないだろうか?現世の余計なもの、人間関係とか地位とか、そのようなものが削ぎ落とされていく。そしてその人が最も心の中で大事に守っていたものが表面化してくる、認知症ってこのような面もあるのではないだろうか?テッドさんの場合、それが「歌」であった・・・言い換えると、テッドさんは愛情表現、配偶者や息子、そして自分が生きてきた人生への愛を歌で表現するようになった。

昔はプロの歌手だったから。そう思えば、テッドさんが80歳でアルツハイマー型認知症でも、これだけ歌えるということは、どこか納得できそうな感じだ。でもそれだけだろうか?

天国に持っていくもの、音楽に魅せられている人は、肉体は亡くなっても、光に包まれ魂が天昇する時、音楽も一緒に持っていくのではないか?

音楽を聴いて、心が動く。切なくなったりとか。このような気持ちの動きって説明するのが難しい。ピアノを弾いている人、多くの人は魂と共に音楽も持っていくような気がする。現世のどうでもいいこと、誰それは上級者でどうたらとか、自分は○○しか弾けないとか、上手く弾けたとか、弾けなかったとか、そのようなことは削ぎ落とされ、その人にとっての音楽が最後には残る。最後に残った音楽は、限りなく「愛」というものに近くなる。サイモンさんも、リンダさんも、テッドさんの愛情を感じているような気がする。彼の歌を通して・・・

誰それ・・・と他人との比較のピアノではなく、自分の中身、それは現世では隠しているものなのかもしれないし、自覚さえしていないものなのかもしれない。でもそれが大切なのかもしれない。それは最後の時、光と共に持っていくものだから。

kaz




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