ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

少年のようなモーツァルトを弾いてから死にたい 

 

最近高齢の方の演奏ばかり紹介しているような気がする。「人は何歳になっても成長する」みたいな想いを伝えたいのだと思う。あるいは「人は死ぬまで現役なのだ」みたいな想い。

若い頃、生死学という学問をかじった。「どのように死にたいか?」みたいな?「どのように?う~ん、火葬・・・かな?」そういうことではないですね。「死」って恐ろしいもの、考えたくないものと捉えがちだけれど、死と生というものはつながっているのだ。生きたようにしか死ねない。そして誰にでも死は訪れる。「僕は死が怖いので死ねない。今年300歳になりました」なんてことはありえない。

事故死、突然死となると別なのだが、普通は死を自覚して実際に死ぬまでには、ある程度の期間があるのが普通だ。ここで、ほとんどの人が過去を振り返る。そして多くの人が「後悔」という想いをかみしめることになる。

何を後悔するのだろう?それまでの人生にあった失敗、「ああ、穴があったら入りたい」みたいなことを、「ああ、やらなければよかった」と後悔する?そうではないらしい。ほとんどの人が、やって失敗したことではなく、「やらなかったこと」に対して後悔するらしい。

癌の宣告、なんとなくショッキングな出来事のように思えるし、実際にそうなのだが、ある意味「死の予行練習」みたいな意味も持つのだ。すぐには死なない。もしかしたら再発はしないかもしれないし、するかもしれない。死というものを意識する期間が与えられるのだ。その時、人間は普通「もし1年の命だったら、自分は何がしたいのだろう?」みたいなことを考える。「人生のやり残し、自分にとっては何だろう?」みたいな?

むろん、癌などの病とは無縁の人生がいいのだろうが、でもどんなに壮健・・・という人でも死ぬ。「ああ、本当に死ぬんだ」という瞬間はくる。その時に後悔する人が多いんだね。もう時すでに遅し・・・なので。なので癌の宣告は予行練習というか、自分が鍛えられる機会にもなる。そのような意味で、人生とはレッスンの連続でもあるのだ。死の間際に悟っても遅いということはあるのだ。

人はどのようなことを後悔しながら死んでいくのか?実は多くの国で調査済みというか、データはある。そして人種とか国籍の違いというものは、そこには、ほとんどなく、全人類で共通しているところがあるのだそうだ。

オーストラリアの看護師、この人は多くの患者の「最後の言葉」を聞いてきた。そしてその人たちを見送ってきた。多くの言葉、それは共通点があったらしい。人間は後悔する時、同じようなことを後悔しながら死んでいくのだと、その看護師は気づいた。

ほぼ全員の男性に共通していた後悔、それは「働きすぎてしまった」というもの。仕事だけではなく、愛する人たちにもっと気を使うべきだった、時間を使うべきだった、愛していると、もっと伝えるべきだったと。

「生きたいように生きる勇気をもっと持てばよかった」
「自分の感情を表す勇気がもっとあればよかった」
「もっと幸せになることを自分に許していればよかった」
「幸せになるということは、自分で選択できたということ、それをもっと早く知っていればよかった」

多くの人の後悔を集約してみると上記のことのようになる。

僕の場合、死ぬときには今のような汚れた心(?)ではなく、少年のような心を持って死にたいと思う。一度は少年のようなモーツァルトを弾いてから死にたいと思う。

kaz




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