ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

伝達手段だけを鍛えることは可能か? 

 

某国際ピアノコンクールの動画配信。コンテスタントたちの演奏に対して「スポーツみたい」「機械みたい」といったような文章を続けて読んだりした。「どんなもんなんだろう?」と僕も動画を確認したけれど、想像以上に(?)スポーツ的というか、マシンの演奏というか、そのような演奏が多いという印象を持った。むろん、皆さん下手じゃないんですよ~。バリバリと、ミスなく、そりゃあ見事なものです。

コンテスタントからピアニストとして巣立っていく時、彼らに需要はあるだろうか?ないのでは?他人事ながら将来を心配してしまう。コンクールで受かる演奏、もしそのような演奏というものが、基準というものが存在しているのならば、そのような演奏と、一般大衆というか、聴衆の望んでいるような演奏との、あまりの乖離は、これはいいことではないだろうと・・・

音楽、演奏を聴く、そして自分も演奏したいと思う、この流れとして自分なりの構図があった。今回、その構図は一般的なものではないのかもしれないなどと思い知らされた感じだ。

①音楽的な感動を得る、心が動く、自分も触れたいと思う→演奏したいと思う
②思いだけでは伝わらないから、音楽語法とか、伝達技術(奏法)を磨く
③ ①と②との完璧なる融合によって、演奏者が体験した①が聴き手という他人に伝わっていく

それが演奏というものだと。そう思っていた。我々アマチュアは①が妄想的に(?)拡大し、②が伴っていないと。そうプロの人などから言われたりする。たしかに伝達ノウハウがないと、想いだけでは伝わらない。多くの人は②の部分で悩みに悩む。「なんで弾けないの~」みたいに。

①はあるけれど、②に問題があり③に到達しない、そう思っていた。バリバリとしか聴こえない、これは①だけではなく②の問題も相当含んでいるとは思う。でも①がない、とか、欠けている場合、そもそも演奏したいなどと感じるのだろうか?クラシックって堅苦しい、まるで作品に責任があるかのようにクラシック嫌いの人は言う。僕は作品ではなく、演奏に責任があるように思う。

今回、某コンクールの動画配信を聴いて、こうも感じた。

演奏者は人間。聴き手も人間。心の中の闇というのかな、隠している部分、感情はある。音楽はそれを揺り起こしてくる。包み込んでくれるというか?「ああ、そうなんだよね」みたいな感情を共有する。曲が演奏というサウンドを通して、聴き手の感情を代弁しているような、そんな感じ。聴き手はそのような体験を演奏に求めるのではないだろうか?

もしかして、もしかして、①という部分に何かしら、つまり感じるとか、感動するという根本部分に足りないものがあっても、②の部分は表面的に鍛えられていくとか、そのようなこともあるのかもしれないと。①を素通りしてしまっても②だけを運動選手のように鍛えることは可能・・・

でも、その考えだと、そもそもなんでピアノなどを弾いているのだろう?コンクールという場は、①②③という演奏行為の流れの盲点が浮き彫りになりやすいのだろうか?コンテスタントは、その曲が弾きたいから弾いているのではなく、「この曲だったら○○という自分の強みをアピールできるから」みたいな動機で弾いている・・・とか?①があるからこそ、そこに近づくためのノウハウが②であるわけで、②だけを鍛えることなんてできるのだろうか?

多くのバリバリスポーツ演奏を聴いて、反射的にこの人の演奏を聴きたくなった。アマチュアだろうが、なんだろうが、死ぬまでにこのような世界を自分でも触れたいと望むのは、アマチュアの甘さ・・・なのだろうか?

kaz




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コメント

 

考えさせられます

素晴らしい。 全ての意味で完璧なテクニックだと思います。

以前、仕事が超多忙で帰宅が遅く、家のピアノを弾けなかった時、電子ピアノを使ってました。

その演奏情報をPCに取り込めることに気付き、自作のソナタを録音。ソフト(シーケンサー)で編集して完璧に仕上げました。
自作曲ですから作曲者の私が完璧と判断すれば本当に完璧です。
(曲自体に価値があるとは思いませんが)
作曲者の意図は漏れなく反映してますし、自分の実力ではとても弾けないような難易度の高い箇所もミスなし。(ミスは修正してるので)

でも、何かが失われてるのです。

コンピュータだから機械的な演奏、というのではありません。
元は手で弾いた演奏ですから揺らぎがあります。
それを作曲者として「検閲」して「適切」なように「修正」したわけです。

しかし聴き手としては「何か」が失われたと感じたのです。

結局、テクニックを完璧(と自分で思うように)にしても、才能が無いのは救えないと証明したようなものです。

失われたものは、ミスをしつつ自分で弾いてた時に感じてた「楽しさ」だった、と思ってます。

難しいです。

ぴあのけものみち #G0VbINhw | URL | 2017/05/14 19:29 | edit

ぴあのけものみちさま

結局のところ、演奏というものは、本人がどう弾けたのかということよりも、聴いている人がどう感じたか・・・というところへ、どのように関連させるかということが難しいのかもしれません。

演奏者が苦しんでいたり、自己否定(なんで私ってこうなの・・・みたいな)が入っていたら、聴き手は困惑してしまう。なんだかピアノと闘っているみたい・・・と。バランスが難しいなと思います。自己愛ばかりでも上手くならないし、自己否定ばかりでも上手く弾けない。

kaz #- | URL | 2017/05/14 20:27 | edit

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