ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

楽譜に忠実 

 

ピアニストのスティーヴン・ハフは楽譜に忠実派なのだそうだ。「楽譜には忠実に演奏します。もし書かれていることと異なることをしている箇所があったら、そこは僕が考え抜いた末にそうしているのだと思ってください」

実際にハフの演奏を聴くと、楽譜に忠実=無味乾燥、お勉強的演奏・・・というのとは正反対のロマン溢れる、ファンタジー溢れる演奏だ。これは何を意味しているのだろう?

楽譜に忠実な演奏の反対は、演奏者の自己中心的な演奏、この分類はちょっと乱暴すぎるかもしれない。印刷された楽譜、音符の連なりをどう捉えるかということとも関係してくるように思う。ドとラの音程、「えっと、ドとラを押すのね」という感覚と、ドとラという音程に何かしらのエネルギーみたいなものを感じるか、そして実際に音表現としてそれを実践するか、その違いのようなもの。

記号、音符として書かれた情報だけ「あっ、ピアノ、ここは弱く弾くのね。えっとドファラという音ね」とただ押す(!)のではなく「ピアノ、集中されたテンションのある孤独な音を要求している、その中でのドからラまでのエネルギー増大なのね」と捉えながら弾くのとは演奏として異なってくるのではないだろうか?大雑把に言えば表情記号とか強弱とか速度に関する記号として記されているものだけではなく、ハーモニーの進行とか音型とか、そのような諸要素を感じ取るということも楽譜を読むということなのではないだろうか?

フレーズの最後の音、そこは「アッハ~ン」のようにとか、突然の休符はため息のようにとか、そこまでは楽譜には書いていない。突然の休符を〇拍の休みねとただ捉えるか、そこに「ウッフ~ン」のような色気を感じるか・・・

作曲者が突然異なるものを記したのなら、そこには意味がある。逆に執拗に同じことを繰り返しているのならば、そこにも意味がある。これは初歩とか導入という段階、ごくごく入口段階でしっかりと教えられるべきことではないか?初めて両手で弾くの・・・みたいな入口段階で実は必要なこと。どうも、導入段階でその部分がスルーされてしまっているのではないか?なんとなくそんな気もする。ピアノ教室訪問をしたわけではないから分からないけれど。

多くのピアノ弾きの悩み、ブログなどを徘徊すると、ズバリ「難しい箇所が弾けないの」というものも多いけれど、本番が近づくにつれ、「なんで一本調子のただ音符並べのような演奏になってしまうのだろう?」という悩みが多くなってくる。多くの人はピアノ演奏というものの「表現の仕方」みたいなことに悩んでいるような印象を持つ。

表情がつかないという悩みがあるのならば、一度「才能」とか「感性」とか、そのようなことから離れて、楽譜から読み取るという、本来は初歩の段階で身につけておくべきことが、どこかの部分で抜け落ちていると考えてみるといいのかもしれない。感性とか才能とか、そのような曖昧なものよりは、楽譜情報を感じる習慣・・・のようなものの方が希望が持てるような気がする。

単純な音型の繰り返し、チェルニーの練習曲よりも音型の変化が少ない、そのような曲の場面を偉大なアーティストはどのように表現しているのだろう?もしかして「表現」というものも楽譜には書いてあるのかも?

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング

スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top