ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

滝修行練習 

 

もう亡くなって久しい男性ピアニスト、練習の前には練習室に飾ってあるベートーヴェンの肖像画だか彫像だかに黙礼をしてから練習をしていたのだそうだ。このメンタリティー、僕にはないものだ。このようなメンタリティー、どうも女性よりは男性に多くみられる傾向があるような?音楽鑑賞記、ブログに、これに似たような鑑賞方法を書いている人もいる。ブルックナーのシンフォニーを聴く時には必ず床に正座して聴く・・・みたいな?

どこかストイックというか、ヘビーというか?音楽は神聖なものと捉えすぎというか?まぁ、人それぞれだろう。そのようにすることで、より深い音楽体験がその人にとって可能であるのならば、それは他人がどうこう言う問題でもないだろうと思う。

しかしながら、毎日のピアノの練習にも、そのストイックさを持ち込んでしまうと、時には危険なこともあるような気がする。練習が滝修行のような雰囲気とでも言おうか?

弾きなおし癖、これに悩んでいる人がいるとする。滝修行的に「まだ修行が足りないんだわ。一日つっかかる場所の練習を500回から700回に増やそう!!!」と頑張る。つっかかるのは精神が弛んでいるからだ。増やせ回数、増やせ時間・・・

頑張りは凄いが、危険でもある。おそらく、本番では、そのやり方ではきっと、またつっかかる。弾きなおしをしてしまう。「あれだけ練習(修行?)したのに?」みたいな?そこで「さらに足りないんだわ」という方向に向かう人は少ないように思う。おそらく「あんなにやったのに。私って才能ないんだわ、下手なんだわ」みたいな方向性になるのではないだろうか?

問題は、練習(滝修行?)が「本番での心配を打ち消す」という目的になってしまっているということ。もしかしたら、回数とか滝修行が必要であったのではなく、原因追及に欠けていたからかもしれない。精神修行的な頑張りって、時には本来の問題点を見つめなくても済む逃げ修行にさえなる。

弾きなおし、弾いている時、もしかしたら「長いフレーズ」とか「起承転結」みたいな、人の演奏を聴いたら、なんとなくでも感じることを、自分の練習では課していなかった・・・

本当の自分の課題、問題点って、どこか心の中を掘り起こす的な辛さが伴う。なので一般的(?)滝修行に逃げ込んでしまう。その方が楽だし、滝修行そのものは「なんだか自分はとても頑張っている」的な満足感も得られる。

引き出しに入れておくのだ。「長く」とか「やり直さない」とか?ちょっとでも引き出しの中をかき回してみれば、気づこうとしなかった癖も見えてきたりするのだ。「もしかして、つっかかったら、私そのフレーズの最初からいつも弾きなおしていた?」みたいな?本当は回数ではなく、「つっかかっても流して弾きとおす」という練習が必要だったのかもしれない。

どうもストイック・・・となってしまう人は日本人には多いのかもしれない。頑張って・・・とか好きな国民?芸術って、時には怠惰なモードも必要かもしれない。どうしてもストイック、真面目、滝修行・・・という方向性になりがちな人にお勧めの歌曲がある。

プーランクに「バナリテ」という歌曲集がある。バナリテ・・・とは「月並み」とでもいう意味だろうか?プーランクってお茶目だね。歌曲集のタイトルに「月並み」だなんて。「月並み」の中に「ホテル」という小さな小さな歌曲がある。この曲は滝修行を聴衆に連想させては絶対にいけない曲だ。努力とか、そのようなものも感じさせてはいけない曲。アポリネールの詩が素晴らしい。怠惰・・・万歳、倦怠・・・万歳・・・みたいな?

「ホテル」  詩:アポリネール

ぼくの部屋は 鳥籠のよう
太陽が窓から腕を突っ込んでくる
でも、ぼくはタバコをふかし
しばしの幻想に浸りたいだけ
日の光でタバコに火をつけてみようかな

働きたくない・・・タバコが吸いたい

kaz




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