ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

元気に明朗、または気だるくアンニュイ 

 

指で弾くのか、腕で弾くのか、奏法をこの2種類に分けてしまうのは、どうも大雑把すぎるような気はする。特に日本の場合は、ハイフィンガー奏法という哀しい歴史(?)があるので、腕の重みを乗せる奏法というものに必要以上に大きく振られる傾向もあるように思う。指を振り上げ、そして振り下ろすような弾き方だと疲れるし、音色が大雑把になりがちだ。この弾き方は、なんというか、明朗会計的な、はっきりした演奏になると思う。とても(演奏者自身が)頑張っているような気分にもなる。日本のピアノ界は、かつては西洋に追いつけ、追い越せみたいなムード満載だったと思うし、日本人のストイック好きな国民性(?)に絶妙にマッチし、この奏法が広まったのではないか?

でもやたら腕信仰というのもどうなのだろう?発色というのだろうか、音の鳴った瞬間のテンションみたいなものは、腕信仰弾きだと、ちょっと物足りなくも感じる。雰囲気は出ているように感じるが、やはり大雑把というか?

指中心弾きだと、一つ一つの音が明朗になり、純真な子どもが一生懸命にハキハキと歌っているような感じになる。でもこの感じでモーツァルトもショパンもドビュッシーも同じように演奏されると困ってしまう。聴いている方としては、音符が多くなればなるほど「バタバタバタ」とした印象さえ受ける時がある。

腕信仰弾きだと、なんというのだろう、アンニュイな感じでラウンジで鳴っているサウンド・・・みたいな感じのする演奏になる危険性もないだろうか?音の鳴る瞬間の音の意思というのだろうか、瞬間的なテンションに欠ける。演奏者の姿は腕をやたら動かし、顔表情も劇的で天井を見たり恍惚表情になったりと忙しそうなのだが、サウンドが曖昧というか、アンニュイ一色というか?個人的には最近のピアノ演奏の多くは、クラシックの曲なのに、癒し系ミュージックのようにも感じたりする。

ハキハキ明朗演奏でもなく、でもアンニュイ癒し演奏でもなく・・・

奏法→表現  

もしかしたら、この順番というものに素直すぎるのかもしれない。もしかしたら

このような音表現にしたい→奏法

なのかもしれない。

自分なりの素人感覚なのだが、何かをしたい・・・と脳が発した時、つまりピアノで表現する時、指とか腕という感じではなく、指の付け根と手のひらの内側から前腕にかけて肉体的テンションが集まる気がする。このあたりは人による・・・のかもしれないが、少なくとも腕全体・・・という感じでも手首より先・・・という感じでもない。大きな軽いビーチボールを片手で掴む感じ・・・だろうか?集めるというか?腕信仰の弾き方の場合、音がフワフワと散ってしまい、散漫に聴こえてきてしまうような気もする。

どちら・・・という問題でもないのかもしれない。指にしろ、腕にしろ、「こちらの弾き方」という限定つき考えだと、色々と難しいところも出てくるのではないだろうか?

この曲はミュージカルの中の曲だが、肝心のミュージカルは観たことはなくても、この曲はなぜか聴いたことがある・・・みたいな曲。歌っているのは映画版の主役なのだろうか?いかにも夢を捨てない少女が太陽に向かって歌う・・・みたいな歌い方だ。明朗ハキハキ純真・・・

指信仰弾きだと、どの曲もこの歌声のようになるのかもしれない。

kaz




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