ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

フーテン 

 

僕が故郷で育ったのは、昭和40年、50年代ということになる。映画「男はつらいよ」シリーズと重なる。今まで「男はつらいよ」シリーズは観たことはなかったのだが、最近観始めたところだ。全部は観られないとは思うが。

下町特有のポンポンとした、そして強い口調の話し言葉が非常に懐かしい。お互い悪気はないのだが、傍目には喧嘩しているようにも見えてくる。「フーテン」という言葉は寅さんそのものだが、実は僕の叔父も兄弟からそう言われていた。「テルはフーテンだから・・・」

テル叔父さんは、当時(今でも?)普通の人生とされていた生き方とは異なる生き方をしていた。「流し」という仕事をしていたので、厳密には「フーテン」ではないと思うが、僕の父を含めた兄弟からはそう思われていたのだろうと思う。きちんとした会社に就職し、結婚をし、家庭を築き地道に生きていく、そこからそれると風来坊、つまりフーテンであると・・・

当時、自分の好きな道、それはテル叔父さんにとっては「歌」というものだったと思うが、それを捨てずに生きたということは相当茨の道だったのではないかと想像する。今でも似たようなものかもしれない。塾に通い、偏差値の高い学校に入学させたい、入学したい、つまり有名企業(?)に就職し、勝ち組になりたい、させたい・・・このような人生設計は現在でも普通にあるように思うし、主流派なのではないかとも思う。ある意味、僕の子ども時代とは変わっていないような?テル叔父さんのような生き方は、やはり今でもフーテン・・・なのかもしれない。

最近、柴又の駅前に「さくら像」が登場したのだそうだ。フーテンの兄を見送る妹、さくらの像。愛があるからこその憎、失望というものもあったのでは?切なさというのかな。フーテンに生きる本人の茨道しか考えていなかったけれど、周囲の想い、つまり、妹さくらの想い、最近はここにも想いを馳せてみるようになった。

父から意見を求められる母、「テルに言ってやれよ、いつまでもフーテンじゃマズイだろうと」母は嫁という立場だったので、いつも「ええ、まぁ・・・」としか答えられなかった。父も弟を愛していたのだろう。就職先をテル叔父さんに紹介することもあったらしい。でも上手くいかない。「困ったものだ」「ええ、まぁ・・・」

テル叔父さんも辛かっただろうが、周囲も辛かったのかもしれない。最近はそう感じたりもする。

「悪いな、俺は好きに生きることしかできない。歌は捨てられない。皆には迷惑をかけていると思っている。でも地道には生きられないんだ。そのような性分なんだ。悪いな・・・」

見送る、さくらの気持ち・・・最近は考えたりもしている。

kaz




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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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