ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

演奏姿 

 

ピアノ奏法について、自分なりに感じることはある。でも言語化が非常に困難ではある。「バリバリ」という鋼鉄の音ではなく「コロコロ」みたいな音が好き、このような大雑把な言葉になってしまう。往年の巨匠たちの音は「コロコロ」している。労働を感じさせない演奏姿だし、ただ座って鍵盤を淡々と見つめ弾いている。でも演奏というか、出てくる音表情は多彩・・・なんだよね。バリバリ派は演奏姿が派手だ。恍惚奏法というのだろうか、腕を振り回し、時には天井を見つめ苦し気な表情やら恍惚表情で演奏する。でも音表情は単色というのか、曲の場面変化に音表情がついていかないというか?見た目は忙しそうなんだけど。難曲になるほど、「どうだ!!!」みたいな肉体的なものに酔っているというか?

手首を固定して指だけで弾く・・・古い奏法
腕全体を有効に用いる・・・新しい奏法

どうも、極端に走っているように感じる。特に日本の場合、ハイフィンガー奏法という哀しい歴史があったためか、腕信仰のようなものがあるように思う。やたら腕を振り回し、身体全体で弾こうとするためか、顔(音ではない)表情まで派手になっている感じだ。「型」というものがあり、そこに当てはめようとしているというか?「今はこうなんです」という型、主流の弾き方から、はずれるのを極端に恐れるというか?「こうなんですよ」というものに皆が盲目的に走っているというか?

指ではなく腕全体を多用すると、腕の重さは一定だから、タッチは揃う。ミスは少なるだろうし、流麗な感じにはなる。でも一定すぎるということは、どこか「凡庸」な印象を与えるのではないか?どこか現代の演奏に通じるものがあるような気がする。

鍵盤の底まで弾きましょう、芯のあるしっかりした音を出しましょう

このような信仰もまだ根強いように思う。なので指で猛烈に叩いてしまったり、腕全体を多用し、身体全体で弾こうとする。これは重力奏法ではなく、「重圧奏法」ではないだろうか?この場合、安定・・・はするかもしれないが、鍵盤の途中を狙うような、往年の巨匠たちの音のような、コントロールされた音表情には遠くなるような気がする。

鍵盤に指を乗せてから弾く、底ではなく途中のポイントを狙い、最小限の労力で弾く

往年の巨匠たちの音にはこれがあるように思う。まぁ、コロコロ・・・という言い方になってしまうが・・・

ある意味、これも型にはめてしまうことになるのかもしれないが、往年の巨匠たちの演奏姿、弾き方に共通しているものがあるとすれば、そこを感じてみることは無駄なことでもないように思う。でも往年組の映像というものは極端に少なくなる、ここが悩ましい。ローゼンタールやラフマニノフの弾き姿、もうこれは想像するしかない。聴こえてくる音表情から、こう弾いているのでは・・・と想像する。

でも少数ながら、映像が残っているピアニストもいる。その演奏姿で共通していること、それは雁部一浩著の「ピアノの知識と奏法」から引用すれば、「卓越したピアニストの共通した特徴、すなわち音楽の場面変化によって大騒ぎすることなく、常に動作が一定している」ということになるのではないかと思う。さらに引用すれば、「巨匠たちの多くは、ほとんどただ座っているだけという弾き方でした。現代の多くのピアニストが、これでもか、これでもかと力みを感じさせるようなパッセージを実に軽やかに弾いています」ということにもなるのだと思う。

あまり知られていないピアニストかもしれないが、ヤコブ・ギンぺルの演奏姿。上肢がやたら動く・・・というのとは正反対の演奏姿だ。鍵盤に指を置いてから弾くということも徹底されているような?この音、コロコロした音・・・

kaz




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