ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

アンコーラ 恨み 

 

ルカによれば「イタリア人気質」というものはないのだそうだ。北部と南部では人種が異なるかのように気質や性格、感情表現が異なるのだそうで。南部人でも「シチリア人とは違う」のような思いはあって、結構複雑みたいだ。でもそれぞれの地域のイタリア人はそれぞれの誇りを持っている。ルカはソレント出身なので、典型的な南部の人ということになる。北を代表するミラノに今は住んでいるので、生粋のミラノ人と時には喧嘩をすることもあるらしい。殴り合いのようなことも、たまにあるようで、なんとも子どもっぽいというか血気盛んすぎるというか。「南部の奴らをイタリア人とは思わないでくれ」みたいな北部特有の空気を感じると我慢できないそうで・・・

情熱的というか、血が濃いというか、感情表現に対して強いというか・・・

そのルカが「ソレント人やナポリ人よりも濃く、そして強い人たちがいる。それは君たちサムライ日本人だ」などと言う。日本人の印象って、控えめとか、そのようなものなのでは?

「君たちサムライ日本人は心の傷を笑い飛ばすような強さがある。隠すというか、達観して過去を捨てられるような強さかな・・・」などとも言う。どこか過大評価気味にも思うが、なんとなくそんなところもあるかもしれない。

小林亜星の曲、都はるみの「北の宿から」という曲。どうもこの曲は僕には「怨念」とか「情念」とか「恨み」のようなもの、つまりドロドロしたものを感じてしまう。ちょっとヘビーかなという気がしていた。阿久悠の歌詞がそんなことを感じさせるのかもしれない。「着てはもらえぬセーターを編む」とか「あなた、死んでもいいですか」とか、「寒さ堪えて編んでます」とか、重すぎる。「編まなくても、寒さ堪えなくてもいいです。ゆっくり温泉に浸かってのんびりしてください」などと言いたくなってしまう。

以前、この「北の宿から」を含めた情念系の日本の歌をルカに紹介したことがある。彼は日本語を解さないので、僕のなんちゃって英語で歌詞を説明したりして。

「君はこの北の宿にいる女性がアンコーラ(恨み)を感じていると思っていないかい?僕はそうは思わない。そのようなアンコーラという感情はもうとっくに通り越してしまっているんだ。自嘲気味に過去の自分を笑い飛ばすような強さがある。そこが日本人的なところなんじゃないかな?・・・ねぇ、あなた、私死んじゃってもいい?なんていうセリフ、そんな感情もかつては持っていたのねぇ。私ってバカだったわ。もうあなたになんかつまづかないけどね・・・みたいな強さを淡々と言うところにイタリア女性にはない強さがあるんじゃないかな?日本人は女性もサムライなんだね」

う~ん、美化しすぎかも?などと僕は思うが、作詞者の阿久悠もルカと同じようなようなことを言っているのだ。「この女性は自嘲気味に、死んでもいいですかなどと一人芝居をしている。失恋というものに自らけじめをつけている」と。

そうなんだぁ・・・

kaz




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