ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

狙い撃ち 

 

音楽や演奏が自分の気持ちや感情を代弁してくれるような気がする。そのように音楽と接する。自分なんて芥子粒のような存在だ。自分の人生なんて世の中の流れからすれば、歴史の積み重ねからすれば、それは豆粒のようなものだ。

そんな豆粒人生でも、いろいろとあったりする。楽しいこともだが、辛いことだってあったりする。それは僕だけではないだろう。誰でもそうではないだろうか?多くの人は別に泣きながら歩いたり買い物したりはしないけれど、すべての人がハッピー、バラ色・・・なんていうことも少ないだろうと思う。

そんな誰でも感じる辛さ、その感情を音楽や偉大な演奏は代弁してくれる。雲の上の存在ではあるけれど、でも「自分なんかには関係ないところの高尚なもの」という感じではなく、どこかで自分の感情や気持ちとつながっていてくれる、そして代弁してくれる・・・

なんとなく芸術=高尚、人間=低俗・・・のようには切り離して考えられないところがあるのだ。僕がものすごく傲慢なのだろうか?そうかもしれないが、それとは別にもう一つの理由があるようにも思える。それは僕がオペラ好きということも関係しているような気がする。オペラ・・・といっても色々だが、特にヴェリズモ・オペラを聴く(観る?)とそう感じることが多い。

ヴェリズモ・オペラ、生活感バリバリのストーリー、人間の隠したいような感情、それは嫉妬とか、そのようなものだが、それを隠さずに音楽、歌で表現してしまう。「ねえ、聞いてよ。あの人ったら私という女がありながら浮気しているの。酷いと思いません?」とか「ああ、こんなに愛しているのに・・・」「そういうところがウザいんだよ」とか。その女性は軽薄な男に突き飛ばされたりして。「ああ、なんてこと。今に見てらっしゃい。後悔させてやる。女は怖いのよっ!」このような俗界バリバリの世界が舞台で表現されるのだ。登場人物も王女さまとか妖精ではなく、そのへんで洗濯を干している女だったり、浮気性の酒飲みの男だったりするのだ。


「ああ、現実にもあるある・・・」などと思う。別にオペラのリブレットのような体験、つまり浮気されたりしたことはなくても、なんとなく登場人物の心情と自分のそれと重なることもあるのだ。「そうそう、それって辛いんだよね」みたいな自分の感情に音楽がズドンを狙い撃ちしてくるのだ。

僕の場合、ピアノ曲やその他の器楽曲を聴いたりしても、同じように「ズドン」と狙い撃ちされる感じなのだ。この辛い、切ない、そのようなものを吐き出すというか、乗せたくなるのだ。おそらくヴェリズモ気分のピアノなのだと思う。聴いている人は大迷惑かもしれないが・・・

この男は浮気されている。悔しい、哀しい、切ない、そう思う。泣きたい。でも男の職業は道化師。皆の前で泣くわけにはいかない。苦しみを笑いに変えるのだ。それが俺の宿命。道化師なんだから。衣装をつけるんだ。道化師になるために・・・

この男は舞台上のストーリーと現実が分からなくなってくる。そして女を殺してしまうのだ。実際にイタリアであった事件をもとにリブレットが作られたそうだ。

マリオ・デル・モナコの「道化師」・・・1961年、日本での公演より。

kaz




にほんブログ村


ピアノランキング
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top