ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

イグナツィの冒険 

 

パデレフスキはワルシャワ音楽院を退学になっている。これには驚いた。むろん、後に復学しているが、血気盛んな青年ではあったようだ。練習室にこもり、ひたすら練習していた・・・というよりは、世の中の動向を気にし、ポーランド人としての血が騒いでいたような青年ではあった。首相になる素質(?)は若い頃よりあったのだろう。

学生時代、友人たちとロシアに演奏旅行に出ている。むろん、有力なマネージャーなど存在せず、自分たちだけで切り開いていくような冒険旅行だったようだ。友人たちが次々と脱落していく中、パデレフスキは演奏旅行を続ける。そこで無一文になり、極寒ロシアで死ぬ一歩手前まで経験したりする。

パデレフスキ、もちろん幼い頃からピアノを弾いている。ただし、その他の大ピアニストとは異なり、幼い頃から偉大な教師に導かれ、正しい教育法で神童として順調に育っていった・・・というのとは異なるようだ。彼の育った環境は極貧というわけではなかったようだが、片田舎で、周囲にはそれなりの教師しか存在しなかった・・・という背景がある。本格的なピアノ道というのは成人してレシェティツキに師事してからということになる。このあたりが普通ではないところだろう。即興名人ではあったようだ。鑑賞者としての耳がパデレフスキのピアノを育んでいったというか?優秀なピアノ少年というよりは、壮大な音楽少年だったのだ。

自然と、「ひたすら訓練してきましたっ!」というピアニスト・・・というよりは、作曲家として認められるようになっていく。若かったパデレフスキの才能を認めた人たち、アントン・ルビンシュタインやブラームスなどもピアニストとしてよりも、作曲家、音楽家として、まず認めていたようなところがある。モシュコフスキーもパデレフスキの作品を出版する際、ヘルプしたりしているようだ。レシェティツキ夫人は高名なピアニストでもあったから、パデレフスキの「メヌエット」などを盛んに人前で演奏し、彼の名前は、まず作曲家として知られていったようだ。

レシェティツキ、パデレフスキによれば、まず彼のペダリングに驚嘆している。また指のコントロールによる、百万色の音の世界への評価。でもこうも評価する。「しかし、訓練されていない・・・」と。24歳から訓練を始めるのか?蓄積は?レパートリーは?職業ピアニストは無理だろう、教える・・・それは可能だろう。師匠はパデレフスキにストラスブールの音楽院の教授職を推薦するのだ。「それが君の道だね」「遅すぎたね」と。

パデレフスキのことだから、「ああ、そうなのね」とはならなかったのだろう。当時のパデレフスキは極貧状態だったから、生活のために師匠の進路指導(?)に従うが、「俺はピアニストになる」という夢は捨てることはできなかったのだと思う。

パフォーマーとしての魅力は絶大なものだった・・・僕はそう感じる。数少ないながら残されているパデレフスキの音源を聴いてそう思う。

奇跡的なデビュー後、彼は苦しむ。「弾ける曲がもうない・・・」一晩のリサイタル分しかレパートリーを持っていなかったのだから。そこでパデレフスキは血の滲むような練習を開始することになる。譜読み地獄というか?

ブランク・・・ということを考える。または、「ピアノは子どもの頃より訓練していないと上手にはならない」とか「指は大人から始めても絶対に動くようにはならない」とか、そのような迷信を考える。むろん、パデレフスキと自分を同じように考えるわけでは、むろんないが、彼の演奏を聴いていると、そのような固い迷信が徐々に柔らかく溶けていくような気はしてくる。

kaz




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