ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

シャコンヌ 

 

ショパンのマズルカやポロネーズはポーランド人でなければ真には理解できない・・・などと言われる(こともある)。その真偽はともかくとして、ポーランド=ショパンのような構図はあるのかもしれない。イタリア人=カンツォーネ・・・みたいな?ではお前はどうなんだ?と問われると、恥ずかしいことに日本の伝統芸能に明るいとはとても言えない。

僕のよく知るポーランド人は、元ルームメイトのHだけだが、彼も特にショパンラブという感じではなかった。ショパンの曲なんか聴いたりしていた記憶などないし。Hは誇り高い人というか、祖国の偉人(?)に対して僕に熱く語ることは多かった。コルチャック先生とかコルベ神父のことは、僕に話してくれた。でもショパン・・・に関して何かしらのことでも話題になったことはなかった。Hに関しては「まっ、ポーランド人でもクラシック嫌いはいるでしょ!」のように安易に思い込めないところもあった。なので何故にポーランドの有名人、ショパンに冷たい(?)のか不思議ではあった。そのことを訊く前に彼は亡くなってしまったが・・・

彼が熱く語ったポーランド人、有名な人ばかりではなく、無名の一般人のことも話したりしてくれた。別にメモを取りながら彼の話・・・というか祖国自慢(?)を聞いていたわけではないので、詳細は忘れてしまったことも多いが、そのような無名人(?)の話の一つに、片腕を失ってしまった少年の話がある。ゲットーを抜け出し、その後両親を亡くし、片腕を事故で失い、森で野宿をしたり、貧しいポーランド人に助けられたリして生き抜いたユダヤの少年の話だ。

図書館でポーランドについて調べものをしていて、ある本を見つけた。岩波少年文庫の本なので、中学生あたりを対象にした本なのであろう。「走れ、走って逃げろ」というタイトルだ。何気なく読み進むうち、かつてHが話してくれた片腕を失った少年の話だと知った。実話なのだそうだ。ドイツ兵から必死で逃げている時、もう死んだと思っていた父親と会う。ドイツ兵が迫っていて長くは話せない。「スルリックか?」「父さん?」「お前、無事だったのか・・・」

父親は、かつての姿とは変わってしまっていたが、別れ際にスルリック少年にこう言うのだ。「お前だけは生き残るんだ。俺の言うことを覚えておくんだ。自分の名前を忘れろ。記憶から消すんだ。父さんや母さんのことは忘れてもユダヤ人であることだけは決して忘れてはいけない。いいか?」「はい、父さん」「父さんは立って走る。ドイツ兵は父さんを追うだろう、十秒待つんだ。そうしたら走るんだ。走って逃げろ・・・」

スルリックはユーレクというポーランド名を名乗った。様々な事を経験し、生き延びるうち、彼は本当に自分の名前を忘れてしまった。解放後、こう答えている。「あなたの名前は?」「ユーレクです」「そうではなくユダヤ人としての本当の名前よ」「あの・・・忘れました」

この本を読むうち、何故にHがショパンを話題にしなかったのか、なんとなく理解できるような気がした。Hはポーランド人について僕に語っていたわけではなかったのだ。彼が話したかったのはユダヤ人・・・だったのだ。彼はユダヤ人としての誇りを僕に熱く語っていたのだ。なんとなくだが、今そう思う。

かつてアウシュビッツの強制収容所跡を訪ねたことがある。そこでの印象などはここでは語ることは不可能だ。これからもそんなことはブログなどには書けない。Hの父親はここから生き延びたのだ。彼もHには収容所での経験を話さなかったという。

多くのユダヤ人たちが殺害された場所に立ち、歩いた時、ある曲が僕の頭の中から離れなくなった。それはショパンの曲ではなかった。

kaz




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category: リサイタル 2018

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