ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ダンス・ダンス・ダンス 1985 ③ 

 

ジュディ・ブルンバーグ&マイケル・シーバートというアメリカのカップルの演技を初めて観たのは西ドイツのドルトムントでの1980年の世界選手権。フリー演技の採点で、芸術点で西ドイツのジャッジが彼らに対して極めて低い評価を出した。地元西ドイツの観客席から非常に盛大なブーイングが沸き起こった。会場を揺らすほどだったかな?そのことで印象に残っている。女子シングルでのフリーでも似たようなことがあった。日本の渡部絵美選手に対してのジャッジの評価が低いと、やはり観客席からブーイングが沸き起こった。いわば、渡部選手は、地元西ドイツのルルツ選手のライバル的存在だったのだが、その選手の評価に対して低すぎると西ドイツの観客からブーイングが起こったので、非常に印象に残っているのだ。

ブルンバーグ&シーバート、トーヴィル&ディーン、そして彼らを追うソビエト勢に次ぐ位置にいただろうか?1985年の世界選手権までに銅メダルを二回獲得している。当時、イギリス、そしてソビエトのカップルに対抗しメダルを獲得するのは非常に大変だったに違いない。でもメダルを狙った1984年、サラエボでのオリンピックではメダルを逃してしまった。その直後の世界選手権では銅メダルを獲得したので、もう彼らはそのシーズンで引退するものと僕は思っていた。長年頑張ってきたのだもの・・・ずっとトーヴィル&ディーン、そしてソビエトのカップルに追いつこう、追い越そうと頑張ってきたのだもの。

なので、東京での世界選手権に再び彼らが引退せずにやってきた時は少し驚いた。「まだやるんだ・・・銅メダル二個あればいいじゃない?」

ここからは僕の個人的な憶測になる。彼らにとっての1985年、点数や順位はどうでもいい・・・とまでは言わないが、もっと別のことを具現化しようとしていたのではないかと・・・

ずっと彼らは自分たちよりも上の人たちを追ってきた。そして実際に向上してきた。「彼らに対抗できる演技を!」「もっと上を目指せる演技を!」

それまでの銅メダルは彼らにとって価値あるものだったと思う。追って、追いついてきた結果なのだから。でもやり残したこともあった、そう彼らは感じたのではないか?それは「自分たちにしかできないダンス」というもの。追うのではなく、自分たちを表現する、アメリカのスケーターにしかできないダンス、来年、もう一度だけ東京でそれをやってみたい、ライバルは他国のカップルではなく、自分たち自身。人を追うのではなく、自分たち自身を表現する・・・

東京で再び彼らは銅メダルを獲得した。この演技はアメリカ人である彼らにしかできなかった演技だ。

「自分たちにしかできないフリー」で彼らは銅メダルを獲得したのだ。

1985年フィギュアスケート世界選手権 アイスダンス結果

一位  ナタリア・ベステミアノワ&アンドレイ・ブキン(ソビエト)
二位  マリナ・クリモワ&セルゲイ・ポノマレンコ(ソビエト)
三位  ジュディ・ブルンバーグ&マイケル・シーバート(アメリカ)

1985年、東京は熱かった。

kaz




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