ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ミスがなければいいというものでもない。でもミスは痛い。 

 

まだ若い頃(?)「ラ・ボエーム」を聴いた(観た)。サンフラシスコ・オペラだったと記憶している。ミミがフレーニでロドルフォがパヴァロッティ。これは素晴らしかった。なので、どうしてもロドルフォ=パヴァロッティというイメージが拭えないところはある。

蝋燭が消え一瞬暗闇になる。ミミの手を触り、ロドルフォが「なんて冷たい手なんだ」と歌うわけだね。パリの安アパート、それも屋根裏部屋、暖房も満足に使えないということを意味している。「冷たい手」なわけだから。

でもそこには若者らしい希望がある。歌でそれを表現しなければならない。厳密に考えればおかしいのだ。ロドルフォは餓えさえ感じていそうな売れない詩人なわけだから、パヴァロッティのような巨漢(?)だと本来はビジュアル的には変なのだ。でもそんなことは関係ないほど彼のロドルフォは素晴らしかった。

ピアノ演奏でもそうだが、ミスなく難所をこなせば、それが感動を生む演奏になるとは限らない。でも「冷たい手を」のハイCで声がひっくり返ってしまったらどうだろう?やはりマズイのではないかとも思う。音と言葉、スペランツァにすべてをプッチーニは託したわけだから。一点集中型で希望と憧れを表現したかったわけだから。むろん、ただハイCをビャービャー出せればということではないだろうが、ひっくり返ってはなぁ。

「冷たい手を」も「私の名はミミ」もオペラの序盤で歌われる。客席も舞台も、まだ固い空気の中で歌わなければならない。ピアノソロのように失敗は自分だけの責任と割り切ることはオペラの場合難しいだろう。そのアリアの出来でオペラ全体の印象が決まってしまうこともあるし、オペラって他者との共同作業でもあるわけだから・・・

「冷たい手を」というアリアそのものが、若さ、それに伴う純な憧れを現しているだけに、歌う歌手のキャリアの比較的初期の頃、つまり若い頃の歌唱でいい歌唱があるようにも思う。アラーニャ、現在は貫禄ある大スターという感じだが、この「冷たい手を」は20年以上昔、まだアラーニャ売り出し・・・という頃のフレッシュな歌唱。個人的には、このロドルフォ、アラーニャのベスト歌唱なのではないかと思う。こんなこと書くとアラーニャのファンに怒られそうだが・・・

盛り上がっていく、ハイC、スペランツァにむかって盛り上がっていく。ロドルフォの希望、憧れがハイCに凝縮される。

実際のオペラ上演の際、どんな気持ちでテノールたちは、この「冷たい手を」を歌っていたのだろう?出番を待っていたのだろう?胃が痛くなりそうだ。

kaz




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