ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

昭和ピアノからの脱却 

 

現在50歳前後のピアノ再開者、かつての高度経済成長期のピアノ教室を体験した人・・・ということになる。いわゆる「昭和ピアノ」というものに、どっぷりと浸かった世代でもある。生徒はウジャウジャといたような?発表会も長時間、盛大だったような?電子オルガン全盛の時代でもあったかな。

昭和ピアノの反省というものは現在のピアノ教育で欠かせないもの(?)になっているのではないだろうか?セミナーというものの主流は教材研究だったりする。かつてはバイエルといくつかの教材しかなく、終了すれば、また次の教材の選択肢も少なかった。そして出来上がったバイエル→ブルグミュラー→ソナチネ→ソナタという構図。そこにチェルニーやハノンが加わる。

選択肢が多いのはいいことだ。

もう一つの反省が、奏法。「ハイフィンガー奏法はやめましょう」というもの。脱力ブームはここに起点があるような気もする。たしかに「やめましょう」ということなのだろうが、個人的には順序が違うのかなという気もする。まずは音でしょ・・・と。基音を強調した鍵盤の底までガツンというような、明朗、しっかりとした音ではなく、もっと響くような・・・みたいな音、サウンドのイメージを育むのが先ではないかと。そのための奏法なわけだから。「A(ハイフィンガー奏法)はいけないんだって。じゃあBにしましょうよ?」的なものをピアノ教育界に感じてしまったりもする。

でも奏法は大切だよね。色々トライしてみるのはいいことだ。

最近、教材、奏法というものの他に、もう一つのものがあるような気がしている。それは読譜というもの。音符(楽譜ではない)を読むということは、100年前だろうと、今だろうと、あまり変わらないものなのではないかと思う。まずは中央のドを認識し、数えるということ。五線の中に書いてある丸を認識すること。ドレなら読めるけれど、ドソになると混乱する・・・では困るのだ。この部分は昭和だろうと平成だろうと変わらない部分なのでは?

曲を弾けるようにしていく段階において、最初は表情をつけないで、音を弾けるようにしていき、つっかえずに弾けるようになってから表現を考える・・・このような手順で曲を仕上げていく人は今でも多いようだ。これって昭和ピアノのやりかたなのでは?表情や感情は後付け・・・みたいな?

音符は読めるけれど、楽譜は読まない人もいる感じだ。かつて子ども時代、そうして教材を進めてきた昭和の名残りなのかな?一応弾けるようになってから色々とやってみる・・・みたいな?

音符という一つの単位がまとまり、楽譜となったのだったら、楽譜は語りかけてくるという認識を持つ。音符を読むという昭和チックな習慣を、楽譜という単位で感じていく平成的なものにする。子どもも大人も・・・

ドレよりもドソという広がりのある音つながりは、よりエネルギーが大きい・・・みたいな?「ド」と「ソ」でしょ・・・ではなく。

バイエル最初のドレドレド・・・簡単に弾けてしまうようだが、これってモーツァルトとかハイドンとか、バッハとか、彼らのメロディーの一部というか、切れ端みたいなものでは?最後のドはどのように収めるのか?具体的なタッチは、奏法は?この段階で表現はあるのでは?

「キラキラ星」・・・ドドソソララソ ファファミミレレド・・・この段階で、もう音楽表現ということなのでは?上がって下がって、最初のドドからソという広がり、最高音のラからどうやって下がるのか、連続音、ドドとかファファはどのように弾くのか・・・

音というか、オタマジャクシ認識だけで弾かないという平成モードが今はまだ欠けているような?

一応音符、オタマジャクシができてから表現する・・・これっておかしい。楽譜を読む=表現なのでは?

このあたり、ピアノの場合、それっぽく曲や教材が進んでしまうのでピアノは難しい。ある程度の曲は弾ける、音符は並べられるけれど、なんだかな・・・という場合、それは音楽性とか才能ということではなく、楽譜を読んでいない、そのような習慣を身につけていないからということもあるのでは?

声楽の人、羨ましいと思う。最も幼児がイタリア歌曲・・・ということはないだろうし、初歩でも声楽の場合は、高校生ぐらいにはなっているだろうから、ピアノとはそもそも比較にならないのかもしれないが、でもそうだろうか?楽譜を読む、表現につなげるということは、変わらないのでは?

「アマリリ麗し」という曲、声楽レッスンでは、まず発声練習の教材(コンコーネとか)と共に学ぶものではないかと思う。音のつながり、跳躍音程と順次進行とのエネルギーの違い、上向き音型と下降、ハーモニーが異なったら、今まで短調だったのものが、いきなり長調になったら、具体的にメロディーをどう処理していくのか、初歩でもこのあたりを意識しないと、イタリア語の知識とか声そのものがどうこうといったこととは別に、まず曲にならない・・・のでは?

そのあたりピアノはどうなのだろう?そのまま次の曲に進んでしまうこともあるのでは?一応オタマジャクシが並べば・・・

一応弾けるようになってから・・・をやめてみればどうなるだろう?

kaz




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