ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

さあ、ショパンを弾こう! 3 

 

演奏者が楽譜に書かれていないヴァリアントを加える、このような創造的要素がピアノよりは声楽で、その伝統が維持されているということは興味深い。個人的に感じることが3つある。特にオペラで感じるのだが、ピアノよりも「原典至上主義」「オリジナル崇拝思考」というものが薄いような気がしている。現在上演されている形と作曲者のオリジナルと、異なっている場合がオペラではあったりする。

原典版の「椿姫」を聴いたことがある。そのバージョンでは、実は長い間の風習でカットされた部分も演奏されていた。オリジナル、原典・・・ということでカットされていた部分も当然演奏されていたわけだ、実は作曲者(この場合はヴェルディ)が当時のスターのために書き残した部分がある。感動的なアリアの後に、どうでもいいようなドンチャカドンチャカといったようなカヴァレッタを聴いた時、「ああ、ここは自然消滅しても仕方なかった部分だな」と感じたものだ。

風習というもの、加えて聴衆の感性といったものが、オリジナルを変え、そのようなことが伝統となる。これはオペラが歌劇場で上演されているということと無関係ではないように思う。小都市の(田舎の?)小さな歌劇場からスタートし、やがて大きな、有名な歌劇場でも歌えるようになる、つまり、スター誕生という現象が、ピアノなどの器楽よりは、「コンクール看板」というものが少ないのではないだろうか?たしかに声楽コンクールも盛んなのだろうが、でもマリア・カラスを有名にしたコンクールって僕は思いつかない。ドミンゴは○○コンクールで一躍スターになったという話も聞かない。コンクールというものよりは、歌劇場這い上がり主義というのだろうか、そのような面がオペラ歌手の場合はあるように思う。コンクールを看板にしなくてもいい世界、それよりは歌劇場と聴衆に認められるべき世界・・・

これって、「一つの価値観で判断される」という経験なしに階段を昇れるということなのかもしれない。ピアニストは今の現状、どうしてもコンクールなしには世に出られないところがある。これが歌手が今でもクリエイティヴな要素を残していると思う二つ目の理由だ。

もう一つが「ダ・カーポ・アリア」というものの存在。つまりABA形式のアリア。最初の旋律が再度歌われる。バロックのオペラに多いだろうか?ダ・カーポ、つまり最初の旋律に戻った時、ここはヴァリアントを加えて歌うのが普通だ。このバロックのダ・カーポ・アリアだが、実は声楽では割と初歩段階でも歌われることが多い。いわゆる「古典イタリア歌曲集」という楽譜に掲載されているような曲。これは実は歌曲ではなく、オペラのアリアなのだ。まず声楽入門みたいな段階で学習するのではないだろうか?

このヘンデルの「私を泣かせて下さい」というアリア、割と有名な曲だと思う。典型的なダ・カーポ・アリアだ。ヴァリアントをつけられる、つけられない、あるいは意図的につけない・・・などと実際の声楽のレッスンでは色々とあるのだろうが、でもごくごく初歩の段階で、クリエイティヴな要素、楽譜に書いていないけれど、歌いなさいというような伝統と対峙するということにはなるのではないだろうか?実際には「ま、あとは同じだから・・・」みたいなこともあるのかもしれないが・・・

小学生がクーラウのソナチネを弾く、ピアノのレッスン室ではよくある風景だろう。この場で「提示部はリピートしましょう。同じことはしないでね」あるいは、再現部で「第1主題がまた出てきましたね。これを再現部といいます」だけではなく、「もうこの旋律、3回目よ、また同じに弾くの?それでいいの?」といったようなことが普通にあるレッスン、実はヴァリアントを加えるというのは、一つの手段であって、同じことをして聴き手に予想させない、退屈させないといったことは、もしかしたらピアノのレッスン室にも普通に求められるべきものなのかもしれない。

kaz




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