ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

さあ、ショパンを弾こう! 2 

 

初めてコチャルスキのこのノクターンを聴いた時には、かなり驚いたものだ。演奏がどうこうという前に「楽譜に書いていない音を弾いている」という事実に驚いた。楽譜は書いてあることを正確に再現するものという捉え方をしていると、そうなる。「そんな音、楽譜にはありませ~ん!」みたいな?

コチャルスキはショパンの孫弟子ということになる。カール・ミクリの弟子なので。直系の演奏というように考えれば、この演奏は、現代一般的に聴かれる「普通のノクターン」の演奏よりは、ショパンの演奏に近いのかもしれない。

同じ旋律が再び登場したら、ヴァリアントを加える、これは「再現」というよりは、どこかクリエイティヴな行為になってくるように思う。記譜されたものを鍵盤に移すという感覚だけでは、そして、それがピアノ演奏というもの・・・と捉えていると難しいものもありそうだ。

モーツァルトのピアノソナタなどにも、「これは完全にオペラのアリアでしょう?」みたいな曲が多い気がする。つまり優れた歌手ならば、当然のように加えたヴァリアントなどの効果をピアノにも期待しているというか?

モーツァルト、そしてショパンの時代、演奏家は作曲家でもあった。ということは、作曲家は演奏家でもあった。作曲というクリエイティブな行為は演奏という行為と密接なものであったのではないだろうか?現代はこの部分が完全に分離してしまっている。

ソナタ形式の提示部、「リピートをする」わけだが、それは単純に「繰り返すのです」ということなのだろうか?そこには何かしらのクリエイティヴな行為が期待されるのではないだろうか?同じことを繰り返す・・・ではなく。

「その旋律は聴衆は一度聴いているのです。二度目の時は変えましょう」というマリア・カラスの言葉、これは声楽の世界では、20世紀になっても、どこかクリエイティヴな要素が演奏者に求められていたというようにも思えるし、それは声楽だけではなく、どの楽器においても、実は求められているようにも思える。

ソナチネを初めて学習する、クーラウやクレメンティの小さなソナチネ。提示部を繰り返す時、あるいは再現部の主題が再び登場する時、ピアノのレッスンで「クリエイティヴな要素」ということは、どれだけ考えられているのだろう?ソナチネまで進んでいない生徒、バイエルやブルグミュラーにおいてでさえ、リピートする場合、マリア・カラスの「二度目は変えましょう」精神をどのように生徒に伝えるのだろう?まぁ、変えません、繰り返しということなのだから・・・という選択もあるのかもしれないが。

kaz




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