ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

素人のレッスン 

 

まずは自分のピアノ環境というものを考えてみる。環境といっても、電子ピアノだとか、グランドピアノだとか、あるいは防音室がどうとか、そのようなことではない。人前で全く演奏しない、それでいいという人もいるだろうが、多くの人は、人前での演奏機会はあるだろうと思う。自分はどのような聴き手環境にあるだろうか・・・ということ。

ピアノサークルのメンバー、聴き手は自分の場合はそうなる・・・このような人は多いと思う。でもサークルのメンバーって率直な、正直な感想を言ってくれるだろうか?相手とよほど親しければ、後でそっと言ってくれるのかもしれないが、基本的にサークルのような場って、批評はしないというのが普通ではないだろうか?「あ~ん、失敗しちゃったぁ」「ううん、よかったよ~」みたいなことはあるだろうが、「あなたの演奏、抑揚に欠けると思う。弾き方が悪いんじゃない?」なんて誰も言わない(言ってくれない?)はずだ。

クラシック音楽に詳しくない、ある意味偏見を持っているような親しい友人、悪友、このような人に演奏を聴いてもらうというのは、とてもいいことではないかと思う。「クラシック?ピアノ?ちょっとなぁ、自分は高尚な人間でもないし、クラシックってなんだか分らないし」みたいな人。ピアノに関して非協力的な配偶者などでもいいかもしれない。

「練習が足りないんだわ。手が痛くなるまで練習するしかないんだわ」あるいは「私って感性とか才能がないんだわ。だったら人の3倍は練習しなきゃ。今からパッセージ練習100回!」という方向になるよりは、非クラシック友人の率直な、時には見当はずれとも思えるような、ボソッとした一言がヒントになるかもしれない。そのような非クラシック人間から肯定的な言葉、例えば「退屈はしなかった」「クラシックも聴いてみればなかなかいいものだね」みたいな言葉が自分の演奏から引き出せたとしたら、その演奏は本当に「なかなかのもの」であるのでは?社交辞令0パーセントの人の裸の感想、そのようなことを言ってくれる人、人的環境を整える。まぁ、最初は「聴いてくれる?」なんて頼んでも拒否されるだろうが、食べ物で釣るとか・・・

ピアノを自分でも弾く人って、ピアノ演奏の難しさを熟知(?)しているようなところがあるので、どうしても表面上の出来栄えということに視点(聴点?)がいきがちだ。よく弾けるわね・・・みたいな?でも非クラシック人は、意外とそのようなことには無関心だ。その人がどれだけ弾けるかということよりも、音楽として退屈しなかったかみたいなところで聴くからだ。

悪友(?)のボソッとした一言が実は正しい、問題を指摘している・・・ということはあるような気がする。「なんだか、どんな曲かよく分らなかった。よく弾けるねぇ?でも僕はクラシックなんてわからないから」この場合、「そうね、豚に真珠ということかしらぁ?」ではなく、「全部の音が同じ音色で抑揚もフレーズ感覚も皆無でバタバタ弾いているから聴き手に何も伝わらないんだよ」ということを「自分はクラシックなんて分らないから」と言う言葉に置き換えている場合だってあるのでは?聴き手が無知ということではなく、演奏が未熟である・・・

この演奏、僕の友人が非常に驚いた演奏。「えっ?クラシックでこれってあり?」みたいに。たしかに手拍子が起こる曲ではある。ショパンの葬送ソナタでは手拍子もないだろうし、聴いている人も微笑まないだろう。もちろん曲にもよる。でも客席で聴いている人が微笑んでいる、このことに驚く人がいるのだ、クラシックってそういうものではないと。これって、一体感、曲と演奏者、そして聴き手、ここでの一体感に欠けている演奏がクラシック界には非常に多いということでもあるのでは?

クラシックって堅苦しい。それは演奏がそう感じさせているのでは?

非クラシック人間に自分の演奏を聴いてもらおう。上達への道・・・かもしれない。

kaz




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