ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ブラームスが愛したヴァイオリニスト 

 

ポーランドで生まれ、そして1882年という同じ年に生まれた、二人の演奏家がいる。ピアニストのイグナツ・フリードマン、そしてヴァイオリニストのグロニスラフ・フーベルマン。両者とも熱烈なファンは存在していると思うが、ヴァイオリンを勉強中、あるいはピアノを習っているという人たちの間で有名であるとは言えないだろうと思う。次々にCDを発売し、毎年のように来日する人気スターのような知名度はないだろう。

実に残念だな・・・と思うのだ。現代はロマンティックな時代ではなくなったのだろうか?個人的には何種類もエディションを研究しました、曲についても作曲家についても調べ上げました、ということを感じてしまう演奏は、あまり好きではない。でも僕だけなのだろうか、実に見事な演奏だ・・・ということを感じたくて多くの人は演奏を聴くのだろうか?少なくとも、僕はそのようには演奏を聴かない。演奏者自身だけが楽譜(音符)や楽器だけに対面しているような演奏ではなく、聴き手も誘い込んで、包み込んでしまうような、その人なりの情念とか、そのような生々しいものを聴きたい。演奏者の演奏密度、解釈密度を聴きたいのではない。

フーベルマンの演奏、おそらく原典版の楽譜と照らし合わせて聴けば「そんなことは書いてないぞ」とか、色々とあるのかもしれない。でもエディション、楽譜に忠実、作曲家に忠実とはどのような意味に解釈すればいいのだろう?書いてあるように弾く、あるいは鍵盤を押す?

厳密には楽譜から逸脱している(と現代ではされる)演奏、もしその演奏を作曲家自身が絶賛した場合、それはどのような意味になるのだろう?

フーベルマンはブラームス自身が聴いている演奏会で彼のヴァイオリン協奏曲を演奏している。フーベルマン、13歳の時のことらしい。異例なことだが、カデンツァの途中で客席から拍手が起こった。若き(幼き?)フーベルマンはそのことで動揺し、自分としては満足な演奏ではないと感じたらしい。

「動揺してしまいまして・・・」

ブラームスはこう言ったのだそうだ。「そんなに美しく弾くからだよ(だから拍手が起こったのだ)」なんと麗しい言葉なのだろう。ブラームスは自分の肖像画に次のような文章を書き込み、13歳のフーベルマンに捧げた。

「1896年 2月1日 ウィーン、そして感謝に満ちた、あなたの聴き手であるヨハネス・ブラームスを親しく思い出してくれることを願って・・・」

ブラームスはフーベルマンのために曲を書くことも約束してくれた。でも翌年、ブラームスは亡くなってしまうので、それは実現しなかったのであるが・・・

たしかにフーベルマンやフリードマンに限らず、往年の、黄金期の演奏家の録音は残っていたとしても、現代の優秀な録音とは比較にならないだろう。遠くから聴こえてくる、ノイズの奥から聴こえてくる、そんな感じだ。録音が古いのだから仕方ない。でも音は分る。違いは分る。

我々は音響を聴いているのだろうか?音楽を聴いているのだろうか?

kaz




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