ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

攻撃する人 

 

ある演奏に対して評価が分かれるということは、普通にあるのだと思うようにしたい。「目茶目茶じゃないですか?その程度でよく人前で弾けますね」というものと、「素晴らしかったです」「泣いてしまいました」というものとが共存している・・・

演奏に対する感想なんて、スポーツの記録のように明確に表示されるものではないから、Aさんにとっては退屈なもの、Bさんにとっては感動の嵐・・・なんていうこともある。そう思うようにしたい。そのこと自体は受け入れるというかね。

なので「メリル・ストリープなんて、たかが女優じゃないか?」と思う人もいて当然なのだ。そう思うべきではないと他人は言えないのではないだろうか?どのように感じようと、それはその人の考えなので、それは自由なのだ。

ただ、その感想や考えをご丁寧に文字や言葉で伝えてしまうという行為は、これは問題が別であろうと。この場合、文字や言葉が暴力になることだってある。「この人、違う・・・」と感じることは自由。その場合、黙って立ち去ればいいのではないだろうか?直接ぶつけてしまうと、それは攻撃、暴力ともなるのでは?ここが問題だ。

そして、そのようなものは入ってきてしまう。こう思えばいいのかもしれない。攻撃する人、それはその人の問題であって、自分の問題ではない・・・と。攻撃する人は、おそらく心に何かを抱えている、つまり負のオーラを背負ってしまっている。どこか自分は幸せではないと。周囲のせいにしたくなるのでは?自分を無理やり正当化することで、自分を保っているのでは?人を攻撃することで自分が保たれるのでは?

自分が正しい~周囲がおかしいのだ・・・みたいな?

でも、どのように感じようと、それはその人の自由なのだと思う。

レズビアンの両親と子どもたち、「変じゃない?」と感じることは自由だ。でもその人たちに「父親がいないなんて子どもが可哀想よ」とか「子どもたちもゲイになっちゃうんじゃない?」なんて直接伝えてしまっては、それは暴力、攻撃だろうと思う。

人に伝えてしまったことって、結局は自分に返ってきてしまうのではないだろうか?そうだとすると、その人は気の毒だよね。でもそれは僕の問題ではなく、その人の抱えている問題。

そう思うと、気は楽になるかな・・・

この偏見に満ちたウェイトレス、彼女と同意見の人もいるだろう。「そう思うべきではない」と彼女には言えない。でも「そんなこと言うなよ」とは言えるのではないだろうか?

kaz




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