ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

たかが女優のくせに・・・ 

 

ゴールデングローブ賞授賞式でのメリル・ストリープのスピーチ、これは名指しこそしなかったものの、内容は完全に次期大統領への批判だったように思う。個人的には彼女のスピーチには賛同。でもそうは感じなかった人もいるようだ。

「たかが女優のくせに・・・」このような日本語でのメリル・ストリープへの批判を読んで考え込んでしまった。「自分とは異なる考えを持つ人、そしてその考えというものを自分はどう(内的に)処理していこうか?」と・・・

ゴールデングローブ賞で連想したのだが、1980年代にバーブラの映画「イエントル」が同じような批判を浴びたように記憶している。この作品は、バーブラが監督、制作、脚本、主演をこなした作品で、ゴールデングローブ賞で作品賞、監督賞、主演女優賞を獲得している。女性の監督としての初受賞になったのではなかったか?この時に「たかが女優のくせに・・・」という批判(嫉妬?)があったらしい。「バーブラは女優で歌手だろ?監督までするのか?おとなしく演技をし歌でも歌っていればいいのだ」1980年代当時、女性監督というものへの逆風は物凄いものがあったらしい。

「イエントル」はフェミニスト映画と解釈することも可能だと思う。舞台はタルムードを学ぶ場所イェシヴァ。そこは女人禁制の場所。イエントルは男装し、そのイェシヴァで「男」としてタルムードを学ぶ・・・

当時、僕は大学生だったように記憶している。「イエントル」は日本でも公開されたので観ている。その時に思ったのは、当時の日本では女性が就職する場合、自宅通勤の人でなければ非常に不利であったということ。一人暮らしの女性は就職が難しかったのだ。今では信じられないことかもしれないが、当時はそうだったと思う。何故自立した女性が不利なの?成人しても親元で暮らしているなんて、半人前ではないか?何故その人たちが有利になるの?そう感じたものだ。

現在でも、あのスピーチをメリル・ストリープではなく、例えばロバート・デ・ニーロのような男性がスピーチしていたらどうなっていただろう?反応は違っていただろうか?

「たかが女優のくせに・・・」「女優の分際で・・・」

この感覚、個人的な生活の中でも感じることがある。仕事ではそのようなことを感じることはないけれど、いわゆる趣味の世界であるピアノの世界ではこの感覚を味わうことがある。

「たかが素人のくせに・・・」「素人の分際で・・・」

この反応、これからどのように内的処理をしていこうか・・・

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: Barbra Streisand

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top