ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

悪魔か本性か 

 

リストのメフィスト・ワルツ第1番、「村の居酒屋の踊り」という副タイトルがついている。この曲のファウスト伝説は有名なゲーテのそれではなく、レーナウの詩にインスピレーションを受けている。楽譜にもレーナウの詩が掲載されているので、その情景を忠実に再現するのがいいのだろう。ヴァイオリンの音色、調弦、悪魔はヴァイオリンが上手なのだそうだ。狂喜乱舞、ファウストはマルガレーテと共に夜の森に入っていく。何のために?そんなことは訊ねてはいけないね・・・

メフィストは悪魔なのだから、ファウストは悪魔に騙されて・・・という解釈もあるのだろう。ファウストは、本当はいい人で悪くはない、悪いのは悪魔だ・・・のような?それはそれでスッキリという感じではあるが、ファウストは自分の意志で悪魔と契約してしまった、欲望、本能に逆らえなかった・・・という人間の本性のようなものを浮き彫りにしているかのような解釈の方が、断然面白いような気がする。悪魔は魅力的なのだ。見るからに残忍・・・なんてものには惹かれない。悪魔が悪いのではなく、人間の本性が悪い。

悪魔か人間の本性か・・・

このテーマ、バレエ「白鳥の湖」を連想してしまった。このバレエ、終わり方に二つのパターンがある。ハッピーエンド版と悲劇版。チャイコフスキーの音楽を考えると、やはりピッタリなのは悲劇版かなぁ・・・などと思ったりもするが、個人的には終わり方はどちらでもよろしい。それよりも・・・

王子がオデット(白鳥)に永遠の愛を誓えば、オデットは悪魔の魔法から解放され、人間に戻れる。それは心からの愛だけが可能なこと。でも王子は悪魔の娘、オディール(黒鳥)に愛を誓ってしまう。ここで二つの解釈がある。王子は悪魔とオディールに騙されてしまったという解釈。王子自身はオディールをオデットだと勘違いしてしまった。

もう一つの解釈が、オディールが、あまりにも魅惑的で、湖で出逢ったオデットのことなど、すっかり忘れてしまった、あるいは、忘れないまでも、オデットのことなど、どうでもよくなってしまった・・・という解釈。これも個人的には、断然後者の解釈の方が面白い。

ラストは、悲劇版を無理やりハッピー版と解釈するのは難しいが、オディールの誘惑場面は、悪魔のしわざ、あるいは人間(男?)の弱さと解釈するかは、鑑賞する側に幅があるような気がする。どちらにでもとれるというか。

オデット役は、やはりスヴェトラーナ・ザハロワが好きだ。王子もこのまま惑わなければいいのにね。

kaz




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