ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ジゼル・ブンチェン 

 

「今度イタリアにいらしたら私の主催する会でお弾きにならない?」こう言ってくれた女性は、むろんイタリア人。英語力は僕と同じくらいだっただろうか?なので意外と通じやすいというか?でもその時には友人のルカが通訳してくれた。僕はイタリア語を全く理解しないし、孤独な旅人となってしまうのを案じてか、ルカは旅行中一緒に行動してくれたりする。そしてその時も通訳してくれたわけだが、彼女のせっかくの提案に対して逃げ腰の僕に、ルカの顔つきが徐々に険しくなっていくのが僕にも分かった。

「君たちサムライ日本人は、時として僕には理解できないことがある。やらない理由があるのなら聞かせて欲しい」

ルカの本業はファッション業界での仕事。彼はギターを弾く。日本式にカテゴライズすればアマチュア、趣味ということになる。僕と同じだ。でも彼は、人前で演奏するのが好きだし、自宅や小さな会場で人を招いて演奏することに対して逃げ腰になったりはしない。これは彼だけではなく僕の知る西洋人たちに共通することだ。屈託がない・・・というか。

やらない理由、できない理由、むろん凹みメールということではない。それはやらない理由、言い訳の一つではあるのかもしれないが、なんとなく僕に「人から~と思われる」という気持ちがあるのは事実だ。でもこの感覚、僕だけが持っているものだろうか?多くの日本人が普通に持っている感覚なのかもしれない。

思えば、ピアノだけに限らず、幼いころからそのように生きてきたのかもしれない。「そんなことをすると○○さんから~と思われますよ」「そんなことをして世間様に顔向けができない」どこか世間様を常に気にしているような人生?

自分の心に正直になって行動してしまうとリスクが生じる。「なんだ、こんな程度なんだ・・・」と思われる。それを極端に恐れる。自分をプロテクトしてしまうのだね。でも考えてみれば、これって単なる自意識過剰なのだ。人ってその人が感じるほど他人のことなんて気にしていないものだ。

僕が個人的に知る西洋人たちにも恐れるものがあるような気はする。それは「~と思われる」というものではなく、全く人から何も思われない、人に印象を与えない、可もなく不可もなく、人の記憶に残らない・・・このことを極端に恐れているような気がする。個人的範囲だけでの印象だが・・・

ルカは自分のギター、人前での演奏、リサイタル企画に躊躇というものがない。職業柄、彼の演奏会には有名なモデルが聴きにくることもあるらしい。「もし君がミラノで弾くんだったら、なんならジゼル・ブンチェンでも連れていこうか?会場がパッと華やぐしね。彼女、音楽好きだし・・・」

ジゼル・ブンチェンなんて知らないし、モデル・・・なんてあまり興味がないので、、僕は何も感じなかったのだが、結構有名な人らしい。なんだかルカのような考え方、感じ方って楽しそうではある。

ルカに限らずだが、時に僕の不用意、僕としてはごく自然な反応が、苛立ちを感じさせてしまうこともあるらしい。結構、僕はそのような時に叱責される。

「なんでそんなふうに思うんだ?」「自分に誇りがないなんて変だよ」「そのような言葉って実におかしいよ」

ルカの紹介でプロのギタリストと知り合った。アントニオという人だ。スイスの人だったかな?ルーツはイタリア人みたいなのだが、流暢にイタリア語、フランス語、ドイツ語、英語を操る人だ。ヨーロッパの人には珍しくはないらしいが。ルカは、この人に時々ギターを聴いてもらい、いくつかのアドヴァイスを貰ったりしているそうだ。ルカもこの人の映像作品に関わっていて、そのような関係から聴いてもらったりしているらしい。師弟関係というほどのものではないらしいが。

このアントニオから僕は叱責されたことがある。初対面なのに。「何か聴かせて欲しいな」そりゃあ、アントニオはプロのギタリストだからいいでしょう。でも、こちらはそうではないし、事前準備も何もないのだ。「いやあ、そんなとてもとても・・・とんでもございません」となる。そこが彼らには理解できない。「なんでそんなことを言うんだ?」

これが僕を叱責したアントニオの演奏。初めてアントニオと会った時に感じたのが「男前だね」ということ。この映像、なんとなくルカっぽい。ヴェルサーチ的な色使いとか・・・

ところでジゼル・ブンチェン・・・有名なんですか???

kaz




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