An die Musik
そもそも、ピアノなんていうものを、楽しいとか、辛いとか、そんな風に感じたことはない。専門的に学ぶのではないから、では楽しく・・・これが分からない。楽しいとか、楽しくないとか、ピアノとか音楽ってそんな風に分けられるものではないような気がしている。
上達はしたいのだとは思うが、人前演奏では、あまりそのようなことは考えない。上手く弾けるだろうかとか。自分の出来栄えを自分がどう思うかなんて些細なことのような気がしている。同じように、人が自分の出来栄えをどう思うかなんて、些細なことのような気がしている。
「素晴らしかった」むろん、こう言われたら嬉しい。でも自分が○○のように思われた、評価された、そんな感覚の嬉しさではない。「下手じゃん」と言われるよりはいいけれどね。なんと言うのだろうか、「素晴らしかった」と言われると、「ああ、自分は一人じゃないんだな」と思う。それが嬉しい。僕自身が感じたものを、感じてくれたんだ、孤独に生きているわけじゃないんだ、僕と同じように音楽に焦がれている人がいるんだ・・・
音楽はいつも自分の傍らにあるから。寄り添ってくれるから。同じように音楽に対して「ああ・・」と感じる人がいる、それが嬉しい。それだけでいいのだ。別にワッ!キャッ!と楽しい必要はない。人と比較して、ああだこうだと、そのまま死んでしまうのは、あまりにも寂しい。まぁ、その人の勝手だが。
ヴンダーリヒは生涯最後の人前演奏、つまりラストコンサート(エディンバラ音楽祭)のアンコールで、シューベルトの「An die Musik」を歌っている。彼はこれが最後の歌になると予期していたわけではないだろう。アンコールに相応しいと思っただけなのだろう。
この後、ヴンダーリヒは再び聴衆の前で歌うことはなかった。享年35・・・この曲はヴンダーリヒのラストソングになった。
An die Musik (音楽に寄せて) 詞:フランツ・フォン・ショーバー
優しき芸術よ どれだけ多くの悲しみの時
人生の激しさが 私を取り囲んだ時
私の心に温かい愛を燃え立たせ
私をよりよい世界へと連れていってくれたことか
しばしば君の竪琴から流れ出たため息
君からの甘い清らかな和音が
よりよき時間の天国を私に
解き明かしてくれた
優しき芸術よ、それを私は感謝する
kaz

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上達はしたいのだとは思うが、人前演奏では、あまりそのようなことは考えない。上手く弾けるだろうかとか。自分の出来栄えを自分がどう思うかなんて些細なことのような気がしている。同じように、人が自分の出来栄えをどう思うかなんて、些細なことのような気がしている。
「素晴らしかった」むろん、こう言われたら嬉しい。でも自分が○○のように思われた、評価された、そんな感覚の嬉しさではない。「下手じゃん」と言われるよりはいいけれどね。なんと言うのだろうか、「素晴らしかった」と言われると、「ああ、自分は一人じゃないんだな」と思う。それが嬉しい。僕自身が感じたものを、感じてくれたんだ、孤独に生きているわけじゃないんだ、僕と同じように音楽に焦がれている人がいるんだ・・・
音楽はいつも自分の傍らにあるから。寄り添ってくれるから。同じように音楽に対して「ああ・・」と感じる人がいる、それが嬉しい。それだけでいいのだ。別にワッ!キャッ!と楽しい必要はない。人と比較して、ああだこうだと、そのまま死んでしまうのは、あまりにも寂しい。まぁ、その人の勝手だが。
ヴンダーリヒは生涯最後の人前演奏、つまりラストコンサート(エディンバラ音楽祭)のアンコールで、シューベルトの「An die Musik」を歌っている。彼はこれが最後の歌になると予期していたわけではないだろう。アンコールに相応しいと思っただけなのだろう。
この後、ヴンダーリヒは再び聴衆の前で歌うことはなかった。享年35・・・この曲はヴンダーリヒのラストソングになった。
An die Musik (音楽に寄せて) 詞:フランツ・フォン・ショーバー
優しき芸術よ どれだけ多くの悲しみの時
人生の激しさが 私を取り囲んだ時
私の心に温かい愛を燃え立たせ
私をよりよい世界へと連れていってくれたことか
しばしば君の竪琴から流れ出たため息
君からの甘い清らかな和音が
よりよき時間の天国を私に
解き明かしてくれた
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